「冬の日」 西脇順三郎
近代の寓話(1953年)
或る荒れはてた季節
果てしない心の地平を
さまよい歩いて
さんざしの生垣をめぐらす村へ
迷いこんだ
乞食が犬を煮る焚火から
紫の雲がたなびいている
夏の終りに薔薇の歌を歌つた
男が心の破滅を歎いている
実をとるひよどりは語らない
この村でラムプをつけて勉強するのだ
「ミルトンのように勉強するんだ」と
大学総長らしい天使がささやく
だが梨のような花が藪に咲く頃まで
猟人や釣人と将棋をさしてしまつた
すべてを失つた今宵こそ
ささげたい
生垣をめぐり蝶とれる人のため
迷って来る魚狗と人間のため
はてしない女のため
この冬の日のため
高楼のような柄の長いコップに
さんざしの実と涙を入れて
”乞食が犬を煮る焚火” この凄まじい表現は大いなる怒りと驚きである。夏には薔薇の歌を歌ったはずなのに、冬を迎えて心の痛みに激しく襲われる。
失楽園のミルトンのように勉強せよとの声が、耳元に聞こえてくる。だが、しかし、ミルトンの理想を越えてしまった自分の心の痛みは、もう耐え切れないのである。
梨の白い花が咲く初夏の日を想いつつ、長柄のコップのさんざしの実に、我が涙を流すのである。何としてでもこの残酷な冬の日を、今宵でお終いにしたいと激しく嘆いている。
西脇順三郎(1894 -1982年明治27〜昭和57年)詩人であり英文学者で、文学博士慶大教授。
非現実主義のシュルレアリスムの思想でも活躍し、ノーベル文学賞候補にも挙がっていた。荻原朔太郎の影響を受けている。
きょうの音楽
シューベルト ピアノ三重奏 第2番 変ホ長調 作品100 D292
演奏 トリオ・ワンダラー(1987年に結成されたフランスのトリオ)
ジャンマルク・フィリップ=ヴァルジャベディアンリン(ヴァイオリン)
ラファエル・ピドゥ(チェロ)
ヴァンサン・コック(ピアノ)
シューベルトらしい、寂寥感を漂わせたドラマチックなメロディが流れてくる。若きシューベルト、亡くなる前年(1827年30才)の作品。