2019年11月28日
「彼らは私を醜いと呼ぶ」

きょうの音楽
ロシア音楽: 「彼らは 私を醜いと呼ぶ」 (Называют меня некрасивою)
作曲:アレクサンドル・ティトフ(Alexander Titov,1954年 -)
作詞:ミハイル・コジレフ(Михаилом Козыревым)
歌 :ナデージダ・カディシェヴァ(Надежда Кадышева)
これまでに人々が作り出した音楽に、「彼らは 私を醜いと呼ぶ」という歌の題名や歌詞などを演奏することはなかった。
一風変わった曲名が気になったので、歌詞を自動翻訳してみた。それは、ロシアのミハイル・コジレフの詩、Называют меня некрасивою、(彼らは私を醜いと呼ぶ)である。
ロシアでは異質なロマンス詩として話題になったそうで、それも受け入れられ、作曲家アレクサンドル・ティトフによって曲が付けられた。作曲年代は1940年代半ばと70〜80年も前。
自動翻訳であるが、最終節の歌詞がいい。「もし彼らが私を醜いと言ったら信じない、いや、誰も信じない!」、最後は自分への誇りを歌い、甘いロマンスは聞く方も救われる。
この歌について、「ロマンスの都会的なテキストとして1946年ソ連音楽のコレクションの一つとして評価された」と書いた評もあり、さすがにロシア、恋するロマンスの歌である。
Фильм для фестиваля "Песня - душа народа".
(画像は映画祭の映画、「歌は民の心」から)
彼らは私を一番醜いと呼ぶ (自動翻訳)
Называют меня некрасивою | 彼らは私を醜いと呼びます- | |||||
Так же он ходит за мной | なぜ彼は私を追いかけるの | |||||
И в осеннюю пору дождливую | そして、秋の雨季に | |||||
Провожает с работы домой? | 職場からのエスコート? | |||||
И куда ни пойду — обязательно | そしてどこに行っても、きっと | |||||
Повстречаю его на пути. | 途中で彼に会います。 | |||||
Он в глаза мне посмотрит внимательно, | 彼は私の目を注意深く見て、 | |||||
Скажет: ≪Лучше тебя не найти!≫ | 「あなたを見つけない方がいい!」 | |||||
А вчера, расставались мы вечером, | そして昨日、夕方に別れ、 | |||||
Уходить не хотел ни за что… | 去りたくなかった | |||||
Чтобы я не озябла, на плечи мне | 私は肩の上が寒いので | |||||
Осторожно накинул пальто. | 彼はコートを注意深く私に投げました。 | |||||
Оттого я такая счастливая, | だから私はとても幸せです | |||||
Улыбаюсь везде и всему… | 私はどこでも、笑顔で... | |||||
Если скажут, что я некрасивая, — | 彼らは私が醜いと言うなら、 | |||||
Не поверю теперь никому! | 今は誰も信じません! |
2019年11月21日
「秋さらば」万葉のなでしこ
秋さらば 見つつ偲(しの)へと 妹が植ゑし、
やどの撫子 咲きにけるかも 大伴家持 万葉集
秋になったら、これを見ながら私を思い出して下さいと、愛妾が植えた庭のナデシコが、いま美しく咲いたよ。(秋さらば:さらばは「去る」の語源から「来る、訪れる」など場所の移動を意味する)
天平11年(739)22才の時に、亡くなった自分の愛妾を悼んで詠う。撫子は秋の七草のひとつ。
夏から秋にかけてピンク、赤や白などの小さな花をつける。撫子の文字は、愛おしい娘に愛情を注いだ意が込められている。
清少納言が枕草子で、次のことを述べている。
「草の花は嬰麥(なでしこ)、唐のは更(さら)なり、大和のも いとめでたし」 この頃は誰しもが撫子を愛でていたようだ。
きょうの音楽
モーツァルト「ヴァイオリン協奏曲 第3番」ト長調 K216
ヴァイオリン:アンネ=ゾフィー・ムター(旧西独・ラインフェルデン)
モーツァルトのヴァイオリン協奏曲は5番まであり、第3番からモーツァルトの素晴らしい特色を持つ飛びっきりいい作品となっている。
第2番から3番まで僅か3ヶ月で大飛躍したモーツァルト、一体何が起こったのであろうか。レオポルト・アウワーが驚嘆したという、第2楽章のアダージオの旋律がいつもながら心地よい。
ANNE-SOPHIE MUTTER ~ Mozart Violin Concerto # 3 in G major - Camerata Salzburg


2019年11月14日
「黄金のスカーフ」の秋
黄金のスカーフの秋(ロシア童謡)
Осень в золотой косынке (детская песенка)
ロシア語
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2019年11月07日
銀杏ちるなり 夕日の丘に
金色(こんじき)の ちひさき鳥の かたちして
銀杏ちるなり 夕日の丘に 与謝野晶子 「恋衣」
小金色した銀杏の葉が、まるで小さな金色の小鳥が飛んでいるかのように散っていくことよ。
輝く夕日の秋の丘に照らされて。
与謝野晶子27才のとき、明治38年1月号の明星に初出。同年詩集「恋衣」に収録される。金色のいちょうの葉を銀杏もみじともいうが、それを目の前にした晶子は絶唱した。
小さき鳥のかたちをした金色の銀杏が、夕日の丘に舞い落ちる。この表現がいい。時の評論家、生田長江は2月号の明星で次のように述べている。
「女史が奔放限りなきファンタジアの力に驚嘆するばかりでなく、亦何となく女王の御前に導かれて行きでもするかのような、一種おごそかな感じが起こる」
ロマン派歌人与謝野晶子を、金色に輝く女王と讃えているが、何とも心地よい響きである。
きょうの音楽
フラメンコギター「マラゲーニャ」(Malaguena)
ギターリスト:マイケル・ルカレッリ(Michael Lucarelli)
マラゲーニャ発祥の地は、19世紀スペイン南部海辺の町のマラガ。いまではフラメンコのコンサートでよく出てくる名曲となっている。
スペイン南部にはたくさんの民謡があり、その中のフラメンコにはパロ(曲種)毎に決まったメロディがある。
そのために、複数の曲が存在する。譜面もなく(譜面があるのは採譜したもの)、耳で聴き取る厄介な音楽でもある。
19世紀から20世紀初頭にかけてマラゲーニャは次々と生まれ、多くのギターリストが演奏して歌手達が歌ってきた。
ギター演奏 「マラゲーニア」
Malaguena - Michael Lucarelli, classical guitar
歌 「マラゲーニア セレロッサ」
Malaguena salerosa 愛想のいいマラガの娘
歌:ロベルト・ポリサノ(Roberto Polisano)
2019年10月31日
ハロウィーン Halloween

10月31日はハロウィーン、古代ケルト人が起源とした宗教的なお祭の日。ケルトの1年の終わりが10月31日、秋の収穫祝いと、悪霊を追い出す宗教行事とが重なっている。
ハロウィーンは天国と地獄を彷徨う日でもある。ケルトでは収穫祭の夜に死者の霊が家族を訪ね、時を同じく良くない精霊や魔女達も彷徨うのである。
怖さのために仮面を被り魔除けの火を炊き身を守る。またカソリック教会の「諸聖人の日」のイブ(All Hallow's Eveオール・ハローズ・イブ)とが同一日となっている。
Halloween(ハロウィーン)という名は、オール・ハローズ・イブの語句から付けられ、収穫祭でもあるので、カボチャ、トウモロコシなど、収穫に感謝して産物が飾られる。
玄関のライトが点灯している家は訪問してもいい合図。子供達が夕暮れになると、魔女やお化けなどに仮装して、玄関の灯りのある家を目指してやってくる。
玄関先で「Trick or treat」、お菓子をくれないと悪戯をするぞと叫び、お菓子を求めてご近所を巡る。7年ほどアメリカのロスに住んでいたが、子供達の仮装は楽しみの一つであった。
会社の米人からのアドバイスで、お菓子が品切れになると、子供の年齢等に併せお菓子代の2倍程度のお金を渡していた。2〜3年過ぎると、夜遅く大きな子供たちが次々と訪れてくる
ようになった。これはまずいと、夜9時を過ぎると電気を消し、ひっそり過ごしていた。今、ハロウィーンは東京渋谷での「渋ハロ」が一番の盛り上がり。
10月25〜27日と31日の午後6時〜翌朝5時まで、路上や公園などでの飲酒が禁止された。規制が厳しくなったハロウィーン2019はいま大盛りあがり。
「25日、26日、27日は凄まじいハロウィーンのコスプレ仮装でした!」と、既に賑わいのニュースが出ている。
日本もいつの間にか10月 ハロウィーン、11月 感謝祭、12月 クリスマス。それらの行事を経て 新年を迎えるという、アメリカと同じ年末のスタート行事になってしまった。


きょうの音楽
モーツァルト: ピアノ・ソナタ 第18(17)番 ニ長調 第3楽章 KV576
ピアノ イングリッド・ヘブラー(オーストリア)
ヘブラーは、レパートリーをモーツァルトに特化して演奏をし続けている女性ピアニスト。モーツアルトのクラヴィーア・ソナタとしては、最後の作品。奔放で、スケールも大きいいがモーツアルトらしい緻密さも十分。
2019年10月24日
わが母の教えたまいし歌

きょうの音楽
ドヴォルザーク 「わが母の教えたまいし歌」
作詞:アドルフ・ハイドュク
メゾソプラノ:マグダレーナ・コジェナー(Magdalena Kožena', 1973年 - )
コジェナーはチェコスロバキア、ブルノ出身。すばらしい歌唱力を持ち、いまでは世界的な第一級の女性歌手。夫は前ベルリンフィル、現ロンドンフィルの指揮者サイモン・ラトル。
1995年にザルツブルクで行われた第6回モーツァルト国際コンクールで優勝。2003年、フランス政府より、フランス共和国芸術文化勲章「シュヴァリエ」を授与されている。
チェコの詩人ハイドュクがチェコ語とドイツ語に書いた詩に、ドヴォルザークが感動して曲を付けて歌曲にした。
歌曲集「ジプシーの歌」の7曲ある内の第4曲目である。荒野を放浪する女性ジプシーが、ひとり語りをするスタイルになっている。
Magdalena Kožena: Songs my mother taught me by Dvorak
「わが母の教えたまいし歌」
ドイツ語 歌詞 (堀内敬三 訳詞)
Als die alte Mutter mich noch lehrte singen, Tranen in den Wimpern gar so oft ihr hingen. Jetzt wo ich die Kleinen selber ub' im Sange, rieselt's mir vom Auge, rieselt's oft mir auf die braune Wange チェコ語(原詩) Když mne stara matka zpivat, zpivat učivala, podivno, že často, často slzivala. A ted' take plačem sněde lice mučim, Když viganske děti hrat a zpivat učim! | 母がわたしに この歌を 教えてくれた 昔の日 母は涙を 浮かべていた 今は私が この歌を 子供に教える ときとなり 私の目から 涙があふれ落ちる 私の年老いた母が 歌を教えてくれたとき 不思議なことにいつも、いつも涙を浮かべてた そして今 この日に焼けた頬にも涙が落ちる 私がジプシーの子供たちに遊びや歌を教える時には! |


2019年10月17日
晩秋 萩原朔太郎
思ひは陽ひざしの影をさまよふ。
靜かに心を顧みて
滿たさるなきに驚けり。
巷ちまたに秋の夕日散り
鋪道に車馬は行き交へども
わが人生は有りや無しや。
煤煙くもる裏街の
貧しき家の窓にさへ
斑黄葵むらきあふひの花は咲きたり。
秋の夕刻、夕日が散る中にいる朔太郎は自分の人生は無事なのかどうか、わが人生は有りや無しやと、率直に問うている。そして、最後の行には、むらさきあおいの花は咲きたりとある。
高貴な紫色をした紫あおいが「葵」の色名で、貧しき家にさえ、斑黄葵(むらさき あうひ)の花が咲くとは、何ともいい響き。

葵の花には白や紅、紫、黄、まだらなど様々な色がある。むらさきの葵色は、平安時代からの灰色がかった明るい紫色で、その葵が裏町の貧しい家に咲いている。
下は、荻原朔太郎詩集「青猫」の序文冒頭の文であるが、詩とは何であるかを語っている。これが詩人の魂なのかと感心する。
『私の情緒は、激情(パッション)といふ範疇に属しない。むしろそれは、しづかな霊魂のノスタルジアであり、かの春の夜に響く横笛のひびきである。
ある人は私の詩を官能的であるといふ。或はさういふものがあるかも知れない。
けれども正しい見方はそれに反對する。
すべての「官能的なもの」は、決して私の詩のモチーヴでない。
それは主音の上にかかる倚音である。もしくは装飾音である。私は感覚に醉ひ得る人間でない』
更に序文の終わりの方で、自分にとっての詩を次のように述べている。
『かつて詩集「月に吠える」の序に書いた通り、詩は私にとつての神秘でもなく信仰でもない。また況んや「生命がけの仕事」であつたり、「神聖なる精進の道」でもない。詩はただ私への「悲しき慰安」にすぎない。 生活の沼地に響く青鷺の声であり、月夜の葦に暗くささやく風の音である』
島崎藤村らの新体詩から始まった日本近代詩、大正時代に入って荻原朔太郎らにより整い、このあたりから単なる詩と称されている。


夕暮れ近いたつの市 馬場 10月20日に「こすもす祭」がある。
きょうの音楽
モーツァルト/ピアノ・ソナタ 第17(旧16)番 変ロ長調 第1楽章 K.570
演奏:アンドレイ・ピサレフ
簡素で澄み切った曲に対して、アインシュタインは「おそらく最も均衡の取れたタイプ、彼のピアノ・ソナタの理想である」と評している。


2019年10月10日
海 La mer

きょうの音楽
シャンソンの名曲 海「 La mer」
作詞・作曲:シャルル・トレネ(Charles Trenet)
ラ・メールは歌う狂人Fou Chantantとまで言われている作詞、作曲、歌手のシャルル・トレネが1943年に作曲したシャンソンの名曲。いまも世界中の人が聞いて歌っている。
何年経っても飽きないラ・メール、夏が過ぎ人がいない秋の海のような魅力がある。29才の時(1943年)シヤルル・トレネが仲間達と、南仏モンペリエとペルピニャンを旅をした。
走る列車の窓から見える海の風景を見て、若き16歳の時に書いた詩に突然メロディーが浮び、列車の中で曲を書き留めたという。
トレネのピアノ伴奏者のアルベール・ラスリーの編曲などもあり、ラ・メールは多くの歌手が歌った。これまでに一番売れたシャンソンだとか、ここでは本人が歌っている。
Charles Trenet - La Mer
ラ・メール
La mer | 海 | ||||||
Qu’on voit danser le long des golfes clairs | 澄んだ入り江に沿って踊っている | ||||||
A des reflets d’argent | 金色の煌き | ||||||
La mer | 海 | ||||||
Des reflets changeants | 煌きを変る | ||||||
Sous la pluie | 雨の下 | ||||||
La mer | 海 | ||||||
Au ciel d’ete confond | 夏空に浮かぶ | ||||||
Ses blancs moutons | 白い羊 | ||||||
Avec les anges si purs | 純粋な天使のような | ||||||
La mer bergere d’azur | 青い海は羊飼い | ||||||
Infinie | いつまでも | ||||||
Voyez | 見てごらん | ||||||
Pres des etangs | 岸辺の水溜りの | ||||||
Ces grands roseaux mouilles | 背の高い湿った葦を | ||||||
Voyez | 見てごらん | ||||||
Ces oiseaux blancs | 白い鳥と | ||||||
Et ces maisons rouillees | 朽ち果てた家を | ||||||
La mer | 海 | ||||||
Les a berces | 揺らしておくれ | ||||||
Le long des golfes clairs | 澄んだ入り江に | ||||||
Et d’une chanson d’amour | 愛の歌のように | ||||||
La mer | 海 | ||||||
A berce mon cœur pour la vie | 揺らしておくれ | ||||||
私の生きる心を |


2019年10月03日
秋の夕暮れ
鎌倉初期、鴨長明が 「無明抄」 の中で、秋の夕暮れの侘びしさについて次のように論じている。(和歌に関する理論および評論の書、1211〜16年)
「秋の夕暮の空の景色は、色もなく、声もなし。
いづくにいかなる趣あるべしとも思えねど、
すずろに涙のこぼるるがごとし。
これを、心なき者は、さらにいみじと思はず、
ただ眼に見ゆる花・紅葉をぞめで侍る」
秋の夕暮れは、美しい色や声もないが、思いがけなく(=すずろに)涙がこぼれてしまう。趣の心を持たない者は、素晴らしい(=いみじ)とは思わずに、ただ目に見える花や紅葉の美しさを愛でるのである。
新古今集の三夕(さんせき)、秋の夕暮れの題材は、定家など三人による新古今集(1210〜17年)が初。三人は、新しい鎌倉仏教、武家文化による、わび、さびなど、幽玄の世界を詠った。
新古今和歌集の三夕(寂蓮、西行、定家)
さびしさは その色としも なかりけり 真木立つ山の 秋の夕暮れ」 新古今集 寂蓮
「心なき身にもあはれは知られけりしぎ立つ沢の秋の夕暮れ」 新古今集 西行
「見渡せば 花も紅葉も なかりけり 浦の苫屋の 秋の夕暮れ」 新古今集 藤原定家
寂連:寂しさはどの色のせい(紅葉)だとはいえない。
西行:趣を理解しない修行僧でも、鴫(しぎ)が飛び立つ夕暮れの沢はしみじと感じる。
定家:見渡してみると美しい花や紅葉などは何もないけれど、海辺のみすぼらしい小屋(苫屋)が、秋の夕暮を物悲しくさせてくれる。
きょうの音楽
カッチーニ 「アヴェマリア」
作曲:ウラディーミル・ヴアヴィロフ
ヴァイオリン:フランティシェック・ノボトニー(František Novotny)チェコ生まれのヴァイオリン奏者。
真の作曲者は、旧ソ連の作曲家ウラディーミル・ヴァヴィロフ(Vladimir Fiodorovich Vavilov/Владимир Фёдорович Вавилов/1925–1973)
ヴァヴィロフは「作曲者不詳」のアヴェマリアとして発表、彼の死後に演奏家らがバロック初期のカッチーニの名前でレコーディングしたので、近年までカッチーニ作として広まった。
ギターやリュート奏者としても活躍した作曲家で、自分の名前を隠して昔の古典作曲家カッチーニの名を騙り神秘化を図った。
カッチーニの「アヴェマリア」は、シューベルト、グノーと並ぶ「3大アヴェマリア」として親しまれてきたが、いまは真の作曲者ウラディーミル・ヴアヴィロフの作曲と確定している。
2019年09月26日
蒙古放浪記
きょうの音楽
蒙古放浪記 作詞・作曲 不詳
蒙古放浪記は昭和初期に歌われた大陸雄飛の歌である。日本民族発生の地である蒙古平原を思慕する、ロマン派男児の声が聞こえて来る。
蒙古放浪記
1、心猛(こころたけく)も鬼神ならぬ 人と生まれて 情けはあれど
母を見捨てて波越えてゆく 友よ兄等と何時亦会はん
2、波の彼方の蒙古の砂漠 男多恨の 身の捨てどころ
胸に秘めたる大願あれど 生きて帰らむ希みはもたぬ
3、砂丘を出て砂丘に沈む 月の幾夜か 我等が旅路
明日も河辺が見えずば何処に 水を求めん蒙古の砂漠
4、朝日夕日を馬上に受けて 続く砂漠の 一筋道を
大和男の血潮を秘めて 行くや若人千里の旅路
5、負はす駱駝の糧薄けれど 星の示せる 向だに行けば
砂の逆巻く嵐も何ぞ やがては越えなん蒙古の砂漠
歌が世に出たのは、アジア大陸進出が本格的に進められた昭和初期。作詞・作曲者の名を付しているのもあるが、大抵は採譜者の名であって、実の作者は不明が正しいようだ。
戦前、若者達がアジア大陸に憧れ、満蒙流浪の旅を夢見た時代があった。この歌は旧制高校の逍遥歌や寮歌のように扱われ、現在まで大学応援団などの学生達によって伝承されてきた。
加藤登紀子が歌っていたのには驚いた。旧陸軍中野学校で愛称された「三三壮途の歌(さんさんわかれうた)」の元歌でもある。
昭和6年の満州事変で、関東軍が満州全土を占拠したが、これを契機に国策で満蒙開拓と称し、満州、内蒙古への日本人農業移民が始まった。
しかし満蒙開拓には夢と現実とのギャップがあった。移民は、自ら身を守るため軍隊から武器を与えられ、訓練を受けた武装集団でもあった。
27万人の移民が終戦で置き忘れられ、逃避行で8万人の死者を出した。満蒙開拓は、一からの開拓ではなく、農地の60%が農地買収で得たもので、時価8%〜40%で強制買収された。
特に満州国では国土総面積の14.3%に当たる農地が日本に買収されている。植民地統治勢力の庇護の下での構造的な収奪とも言える。
(数字などwikiより)売り渡した現地農民は、自分達が食べるためにまた、新たな開拓をやったと思われる。