2019年09月19日

新たな涙 小野小町


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 上からカンナ コリウス キバナコスモス



  吹きむすぶ 風はむかしの秋ながら
            ありしにも似ぬ 袖の露かな   小野小町
                            新古今和歌集 


風が吹いて草葉に露を結ぶのは昔と同じ秋の風でありながら、今の私の袖に結ぶ露は、若かった時にはなかった涙なのです。

小野小町も年を重ね、昔とは袖に宿る涙も変わってしまった。あの昔は若かったし世間もよく知らず、このような身に染む涙は、これまでに味うことはなかった。

小町の生没年は天長2年(825年)〜 昌奏3年(900年)の頃と想定されている。年を経て、新たな涙を知り、代え難い喜びを知った小野小町であった。

小町の代表作に、「花の色は 移りにけりな いたづらに 我が身世にふる ながめせし間に 」が古今集にある。

春の長雨が降っている間に、 美しく咲き誇っていた花もいつのまにか色褪せてしまった。それも自分自身が世に処していくために、物思いにふけっているほんの僅かな間のことであった。

冒頭の歌、「吹き結ぶ風はむかしの秋、、、」と、この二つは小町が少し歳を重ねた歌であるが、本来の小町は華やかで夢多き恋を楽しむ女性、次の歌はそれを思わせる。

「いとせめて 恋しき時は むばたまの 夜の衣を 返してぞ着る」古今和歌集、どうしても恋しさに耐えられなくなった時には、夢の中で逢えますようにと、夜の衣を裏返しに着た。

いとせめて=(あなたのことが )とても切実に。むばたまの(射干玉の)=夜の掛詞。

この頃まだ布団はなく、着ていた着物を掛けて寝ていた。好きな人の夢を見るには、着物を裏返しにして眠れば願いが叶ったという。

平安前期の美貌歌人小野小町、百首あまりの「小野小町集」が伝えられているが、大半が後から出てきた疑わしいもので、確実な作品は18首だという。

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 コリウス


きょうの音楽


モーツアルト ピアノソナタ16番(旧15番)ハ長調 K545

ピアノ  ガブリエル・トマセロ

初心者のための小さなソナタと記されている作品で、いまも練習者には人気の曲となっている。モーツァルトが亡くなってから発表された。


Mozart Sonata K. 545 モーツァルト ピアノソナタ ハ長調K.545
- Gabriele Tomasello, piano.  



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2019年09月12日

「秋の日」中原中也

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 ハイビスカス


  「秋の日」  中原中也 
                  
         (ノート1924 下書き稿)

  秋の日は 白き物音
  むきだせる 舗石(ほせき)の上に
  人の目の 落ち去りゆきし
  ああ すぎし 秋の日の夢
  
  空にゆき 人群(ひとむれ)に分け
  いまここに たどりも着ける
  老の眼の 毒ある訝(いぶか)り
  黒き石 興(きょう)をおさめて
 
  ああ いかに すごしゆかんかな
  乾きたる 砂金は頸(くび)を
  めぐりてぞ 悲しきつつましさ
 
  涙腺(るいせん)をみてぞ 静かに
  あきらめに しりごむきょうを
  ああ天に 神はみてもある

秋の日は自分には、何もかもが色褪せて白っぽくみえてくる。人は、剥き出しになった舗道の石の上に目が向う。あぁ、過ぎ去った秋の日の夢。 

秋が巡ってくる度に中也は 色褪せてしまった過去の情景を思い出す。泰子と別れた悲しみの日々も、ちょうど秋であった。

やり場のない悲しみは空に行き、いまここに辿り着く。老人がいぶかる毒のような目、黒き石となって激しさを収めてくれる。

どのように過ごして行っていいのか、乾いた砂金が首すじに巡って、覆ってしまうような悲しい慎ましさ。そして涙腺を見てもう諦めてしまい、退く今日の日である。

天にまします神さまは、私を見守ってくれているのでしょうか。辛い思い出ばかりの秋ではあるが、ここを乗り越えようと、新たな道を求めるための、五七調の白き物音でもあった。

「秋の日」はもう一つ、詩集「在りし日の歌」にある。
磧(かわら)づたいの 竝樹(なみき)の 蔭(かげ)には 美し 女の 瞼(まぶた)泣きも いでなん 空の 潤(うる)み昔の 馬の 蹄(ひづめ)の 音よ、、、。


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  サルビア・ファリナセア                             ヤブラン

きょうの音楽


モーツァルト ピアノソナタ14番ハ短調 K457

ピアノ   マリア・ジョアン・ピレシュ

短調のピアノソナタは18曲中、第8番とこの14番の二つだけ。14番は、悲愴などベートーベンの初期作品に大きく影響を与えている。
Mozart, Sonata para piano No 14, K 457. Maria Joao Pires



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2019年09月05日

花橘に風の吹くらん   

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        夕暮はいづれの雲のなごりにて 
                     花橘に風の吹くらん  藤原定家  新古今和歌集


夕暮れ時になると、どこの雲を吹き払った風の名残りであろうか、庭の花橘に風が吹き、昔を偲ばせる香がする。雲のなごり=雲となった故人を思い出させるもの。

亡き夕顔を夕空の雲に偲ぶ源氏の心情を重ねているが、歌の下敷きが源氏物語「夕顔」にあるという。夕顔が六条御息所の生霊によって亡くなったが、その時の状況を源氏物語(現代語訳)の一節から拾ってみた。 以下。

 紙燭を持って参った。右近も動ける状態でないので、近くの御几帳を引き寄せて、「もっと近くに持って参れ」とおっしゃる。いつもと違ったことなので、御前近くに参上できず、ためらっていて、長押にも上がれない。
 「もっと近くに持って来なさい。場所によるぞ」
と言って、召し寄せて御覧になると、ちょうどこの枕上に、夢に現れた姿をしている女が、幻影のように現れて、ふっと消え失せた。
 「昔の物語などに、このようなことは聞くけれど」と、まことに珍しく気味悪いが、 まず、「この女はどのようになったのか」とお思いになる不安に、わが身の上の危険もお顧みにならず、添い臥して、「もし、もし」と、お起こしになるが、すっかりもう冷たくなっていて、息はとっくにこと切れてしまっていたのであった。
(右近は夕顔の乳母の娘で、夕顔に仕える女房) 以上。

夕顔の火葬の煙りをみて光源氏が詠んだ歌。

     見し人の煙を雲とながむれば
               夕べの空もむつまじきかな   源氏物語 夕顔 (紫式部)

契った人の火葬の煙をあの雲かと思って見ていると、この夕方の空も親しく思われる。亡くなった夕顔が夕べの雲と重なり、光源氏には心惹かれる夕景であった。

定家が下敷きにした源氏物語の夕顔は、すでに200年も経ている。その歌を下敷きとは、時代が違うと言えども、歌の世界は何とも悠長でのんびりしたもの。

また定家のこの歌については、常縁口伝和歌(1400年代初期)や美濃廼家苞(1819年刊行新古今の注釈書)によれば、中国の「高唐賦」に書かれた、巫山神女の故事を歌にしたものという。

高唐賦:宋玉の詩。戦国末期、楚の文人で屈原の弟子。
楚の懐王が夢の中に出てきた巫山の神女を愛したが、女が去る際に「朝には雲となり、暮れには雨となり、朝な夕な陽台の下で会いましょう」と言い残した。「朝雲暮雨」は、男女の密やかな堅い契りを示す。

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きょうの音楽

モーツァルト  ピアノソナタ13番OP333

ピアノ ウラディミール・ホロヴイッ

同時期に交響曲36番リンツが作曲されたが、このピアノソナタにも明るくモーツァルトらしい、美しいメロディが流れてくる。
 Horowitz Plays Mozart Piano Sonata No. 13 (k333)  


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2019年08月29日

夕立の雲もとまらぬ 式子内親王

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 カンナを取り囲むコリウス


             夕立の 雲もとまらぬ 夏の日の
                                傾く山に ひぐらしの声           式子内親王    新古今集


山にかかっていた夕立を降らせた雲も、厳しかった太陽も消えてなくなり、夏の夕日が沈んでいく山には、ひぐらしが鳴く声がする。 

一時の凄まじい雨を降らせた夕立雲も、夏の太陽も消え去り、まわりにはひぐらしの声が響きわたる。暗き雲や、ジリジリ照りつけた太陽も消えた、夕立後のひと時の情景である。

夕暮れの山々を眺めて安らぎを浮かべる式子の表情が見える。新古今集は、万葉調、古今調、新古今調と三大歌風の一つとして並び称されている。

時代は鎌倉幕府に移行、西行、藤原良経、藤原俊成、藤原定家、式子内親王、寂蓮などが、これまでにない耽美と幻想の世界を詠ったのである。

北原白秋はこの歌について、「日本短歌最上の象徴芸術」であり、「日本詩歌の本流」であると褒めそやし賛美している。


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 サルビアとひまわり


きょうの音楽

モーツアルト ピアノソナタ12番K332

ピアノ フリードリヒ・グルダ

1783年27才、ピアノソナタ11〜12番と同じ年に作曲している。リズミカルで、明るく華やかな曲。

Friedrich Gulda: Mozart – Sonata in F major, KV 332    

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 キバナコスモス



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2019年08月22日

わが恋は、しる人もなし 式子内親王

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    わが恋は しる人もなし せく床の
            涙もらすな  つげのを枕  式子内親王 新古今集

私の恋心は、相手には知れない忍ぶ恋心です。その恋を守ろうとして、床の涙が漏れないように黄楊(つげ)の枕で堰止めているのです。お前の知ってしまった私の恋を、どうか人には告げないで欲しい。黄楊の枕よ。

黄楊=告げ、「涙もらすな」を「人にもらすな」に掛けている。つげで作った木枕は霊力が強いとされていた。式子内親王は後白河帝の第3女皇女であり賀茂の齋院も務め、男と交わることが出来ない身分でありながらも、一人想いの空しい恋に明け暮れる。

時の変化は激しく、平安から鎌倉へと流れが変わる平安末期。式子内親王30才の頃に家打倒の令旨による治承・寿永の乱(1180年)が始まった。貴族社会の後退、武士の台頭で都は混乱していった。

そういった中で、芸術至上傾向はそのまま継続され、平安時代末期の和歌は一つの高みに導かれた。その成果として優れた二つの勅撰和歌集の千載集(1180年)、新古今和歌集(1205年)が編纂された。

きょうの音楽

モーツアルト ピアノソナタ11番 イ長調331

ピアノ ダニエル・バレンボイム

モーツアルト27才、ザルツブルグで作曲。第一楽章には心地よい、たゆとうとしたシチリアーナの主題があり、第三楽章にはトルコ行進曲まである優れた曲。
Mozart Piano Sonata No 11 A major K 331, Daniel Barenboim

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2019年08月15日

「夏と私」 中原中也

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「夏と私」  中原中也

 真ッ白い嘆(なげ)かいのうちに、
 海を見たり。鴎(かもめ)を見たり。

 高きより、風のただ中に、
 思い出の破片の翻転(ほんてん)するをみたり。

 夏としなれば、高山に、
 真ッ白い嘆(なげ)きを見たり。

 燃ゆる山路(やまじ)を、登りゆきて
 頂上の風に吹かれたり。

 風に吹かれつ、わが来(こ)し方(かた)に
 茫然(ぼうぜん)としぬ、………涙しぬ。

 はてしなき、そが心
 母にも、……もとより友にも明(あか)さざりき。

 しかすがにのぞみのみにて、
 拱(こまぬ)きて、そがのぞみに圧倒さるる。

 わが身を見たり、夏としなれば、
 そのようなわが身を見たり。


中原中也、海を見たりカモメを見たり、真っ白い嘆きの中にいる。かもめのように空から自分を眺めると、これまで自分がやってきたことや、その思い出に溜息をつく。未だ何も出来ていない、悔いの残ることばかり、茫然と涙する。そのことを、母にも言わないし、友人に誰一人言っていない。

とは言うものの(しかすがに)望むだけで、望みに圧倒され、手をこまねいているばかりの自分である。中也はこれまで毎年夏になれば、「夏」題材の詩作をやってきた。昨夏よりこの1年を経て、何も出来なかった自分がいた。

その頃の中也のいう圧倒される望みとは、フランス留学であった。フランスの新学期は9月の始め。今年も
フランス行きの準備は何も出来ていない。この時、昭和5年。また留学決行の夏がやってきた。夢のフランス留学、その夢を果たせない我が身を見て嘆く詩人中也である。

翌年、中也は東京外大のフランス語専修科に入学した。授業は夜学で午後5時から2時間。フランス留学のために、外務書記生の試験を受けるべく、夢を一歩前進させたが、専修科を終了しフランス行きの夢は終わってしまった。

しかし、ベルレーヌ、ランボウなどのフランス象徴派詩人の作品を、原書で読むにはフランス語の勉学は大いに役に立った。

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 シラサギ草


きょうの音楽


モーツアルト ピアノソナタ第10番  ハ長調 K.330

ピアノ  ガブリエル・トマセロ

これまで、10番、11番はフランスで作曲されたとされてきたが、近年、ザルツブルクで作曲されたことが明らかになっている。
MOZART K. 330 ピアノソナタ第10番 ハ長調 K.330 - Gabriele Tomasello, piano.



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2019年08月09日

「ヴェルレ−ヌの面影」中原中也

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「夜更けの雨」 中原中也
 
  ---ヴェルレーヌの面影--- 
 
  雨は 今宵(こよい)も 昔 ながらに、
   昔 ながらの 唄を うたってる。
  だらだら だらだら しつこい 程だ。
   と、見る ヴェル氏の あの図体(ずうたい)が、
  倉庫の 間の 路次(ろじ)を ゆくのだ。


     路次を 抜けさえ したらば、
   抜けさえ したらと ほのかな のぞみだ……
  いやはや のぞみにゃ 相違も あるまい?

  自動車 なんぞに 用事は ないぞ、
   あかるい 外燈(ひ)なぞは なおの ことだ。
  酒場の 軒燈(あかり)の 腐った 眼玉よ、
  遐(とお)くの 方では 舎密(せいみ)も泣いている。

中也の「夜更けの雨」ーヴェルレーヌの面影ーはポール・ヴェルレーヌが獄中出版した「言葉なきロオマンス」の中にある ”雨の降るが如く” が下敷きにされている。

ヴェルレーヌへの単なる憧れを越え、向かうような強烈な作品である。その頃日本でのフランス象徴詩はまだ日は浅く、「巷に雨が降るごとく、、」などは堀口大学の「月下の一群」(大正14年)で知ることとなる。

ポール・ベェルレーヌ「われの心に涙降る」 堀口大学

巷に雨の降るごとくわが心にも涙ふる。
心ににじみ入るかくも心ににじみいる。
このかなしみは何やらん?
   ・・・・・・。 

ヴェルレーヌの作品は文学好きの学生達によりこぞって、むさぼり読まれ、人気があったのは堀口大学翻訳で、自分は「都に雨が降るごとく」の鈴木信太郎訳詩であった。

中也がフランス象徴詩ヴェルレーヌの作品に出会い、強烈な刺激を受けて出来た作品が「夜更けの雨」である。ヴェルレーヌは27才の時、10才年下の16才早熟詩人アルール・ランボウーに出逢い、妻子を捨てて2年ほど男色の同棲をする。

そしてランボーを銃撃し、手に損傷を負わせ自らが破綻して行った。2年間の収監中に ”巷に雨の降る如く” を生み出した「言葉無き恋歌」は、獄中から出版された。3次「現代高踏詩集」への投稿を忌避されてからは活動は終わった。

一方のアルチュール・ランボウーは、いよいよ本格活動に入ってゆく。ヴェルレーヌが詠った雨はランボーとの思い出の小雨であるが、中也の「夜更けの雨」は、やたら厳しい大雨であった。
 

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きょうの音楽


モーツァルト ピアノ協奏曲 第9番 変ホ長調K271

ピアノ マリア・ジョアン・ピレス
このあたりから新鮮さと規模の大きさが見えて来るモーツアルト。フランスの女流ピアニスト、ジュノーム嬢がザルツブルクを訪れた際に彼女に献呈した、別称「ジュノーム」。
MARIA JOAO PIRES ~ Mozart Piano Concerto # 9 / John Eliot Gardiner


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2019年08月02日

朝霧に 舟をしぞ思う

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    ほのぼのと 明石の浦の 朝霧に                                    
           島隠れゆく  舟をしぞ思ふ      古今和歌集 よみ人不詳


古今集の左注に「このうた、ある人の曰く、柿本人麿がうたなり」と書かれている。
かすかに明るくなってゆく明石の浦の朝霧の中で、島の影の中に消えてゆく舟のことを思う、

であるが、朝霧の霞みで船影が淡路島に隠れてしまう様子を、「舟惜しぞ思う」と、この一言が何とも気になる作品とさせている。もしかして別れを惜しむ、大切な人が乗っているのかも。

古今集は詠み人不詳とあるが、平安中期より柿本人麻呂の作品とされてきた。注意書きは柿本人麻呂没後200年余の後に出来た古今集で、いまでは大方が否定されている。

昭和43年に山陽本線に朝霧駅が出来た。朝霧の街から淡路島を眺める明石海峡は絶景である。古今和歌集の詠み人不詳の”朝霧”は、地名や駅名となりこの名歌を伝えている。

地名朝霧のすぐ隣に柿本神社があり、神社と密接な関係を持つ近くの月照寺の寺伝では、この歌に対し次のような仏教的摂理を解釈している。

ほのぼのと、、、「初生(ほのぼのと) 娑婆世界(あかしがうらの)朝立霧(あさきりに) 四魔滅(ま生)、修行平等性智(老)、菩薩如観察智(死)、涅槃成行作智(病)、法界体性智(苦)「生老死病苦」。



きょうの音楽


 津軽三味線 高橋祐 津軽じょんがら節 

津軽地方の三味線は、他の三味線音楽とは全く違った音楽として発達を遂げている。中でも、高橋竹山はまさしく津軽三味線の名人。
だが、この高橋祐も独特の奏法ですばらしい演奏をしている。津軽民謡の伴奏音楽だったものが、このような形で発展しているのに魅力を感じてしまう。




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 ルドベキア
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2019年07月26日

絵本「せんたくかあちゃん」

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   姫路文学館 絵本作家 さとう わきこ 特別展

姫路文学館では 絵本作家、さとう わきこ 特別展 「ばばばちゃんとあそぼう」
(6/29〜9/1)があり見学してきた。買った絵本からの一部抜粋。
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 さとう わきこ作絵本 「せんたくかあちゃん」 

 (読み易くするめに、絵本の全平仮名を漢字に変換)

「きょうも いい天気だね」母ちゃんは くるくる 腕まくりをして、ぱっとカーテンを外すと、太い腕で たちまち洗ってしまいました。

家中のズボンも チョッキも 靴下も パンツも シーツも 枕カバーも、みんなあっという間に たらいに放り込みました。そこいらじゅうが雷様でいっぱい。みんな薄汚れた雷様ばかり。

それが揃って言いました。「洗濯してくれ、洗ってくれ」「描き直してくれ、いい男にしてくれ」「昨日みたいに一丁やってくれえ」

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ちょうどこの頃、空のひと隅で 雷様の雲が動き始めました。

「すげえ すげえ。へそが一杯干してあるぞ」

雷様はよだれを飲み込みながら全速力で雲を運転して 洗濯物に近づきました。

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見るとなんと薄汚れた雷様が 物干し縄に 引っかかってもがいていました。「なんてとこだい、まるで蜘蛛の巣屋敷だね。

こう縄が多くちゃ雷だって引っかかるぜ」それを聞いた母ちゃんは「蜘蛛の巣屋敷なんて失礼だね。それよりあんたは何しに来たんだね」

すると雷様は「当たり前のコンコンキチ、おへそを捕りにきたに決まってるじゃないか」

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「何だって、おへそを捕りに来たんだって!」かあちゃんは かんかんになって、「本当に生意気な雷りだよ」と言うと雷り様の首をぐきっと掴んでたらいの中に放り込みました。

翌朝、突然かみなり雲がやってきて、ピカッ ガラガラ ドシーン ドンガラ ドッシーンびっくりして見回すと、そこいら中がかみなりさまで一杯。

「描き直してくれ、いい男にしてくれえ」。ここで母ちゃんははっきり言いました。「よしきた まかしとき」。

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子供達の絵本は人生初の想像の世界、素晴らしい驚きを絵本から体験している。
昭和12年生まれ、昭和53年「とりかえっこ」で第1回絵本にっぽん賞を受賞。長野県岡谷市に「小さな絵本美術館」を開く。

人気作品には「せんたくかあちゃん」「ばばばあちゃん」などのシリーズ絵本がある。自分には既に難しい絵本の世界。上記は人気の「せんたくかあさん」の抜き書きであるが、とってもいい作品である。

楽しいお話しが次から次へと絵本から出て来るので、耳を少し傾けるだけで、絵本の面白さが存分に味わうことが出来る。
(絵本の推奨:3〜4才児から読んでやり、読ませるのは小学低学年から)


きょうの音楽

作曲・演奏 清塚信也 - For Tomorrow

TBS系 金曜ドラマ「コウノドリ」(2017)メインテーマ
清塚自身も俳優として出演し、様々な映画の楽曲提供で活動の幅を伸ばしている。2017年10月アルバムFor Tomorrowをリリース。

今年8月日本武道館でピアノコンサートを開く。男性クラシック・ピアニストとしては、武道館での単独公演は初めて。日本ではまだ少ない分野での新たな音楽世界を表現している。



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2019年07月19日

夏の風物詩 ひまわり

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  フロリスタン


夏の風物詩 ひまわりの花言葉

ひまわりは、まっすぐ空に向かつて太陽に、恵みを下さるのはあなたですと見つめる。太陽は愛慕・敬慕・愛慕・崇拝・情熱・情熱、、、などの様相で返してくれるので憧れが花言葉となる。

ひまわりを花束にすれば「あなたを幸福にする」「あなたは素晴らしい」となり思う女性への贈り物。ところがペルーでは不思議な「偽りの富」の花言葉がある。

その昔、ペルーは太陽信仰で儀式の神殿の巫女達はひまわりの冠を被っていた。1533年スペイン人征服者ピサロにより征服されたペルーは植民地となって形だけのインカ帝国が残された。

「農民よ、地主は二度とあなたの貧しさを食いものにしない」と約束した傀儡皇帝トゥパク・アマルー2世はインカ帝国残党の完全征服に乗り出したスペイン軍に捕縛された。

1572年、皇帝はクスコ広場で斬首され、インカ帝国は歴史の幕を閉じた。インカ帝国の滅亡によって生まれたのが「崇拝」と「偽りの富」である。

その他ひまわりの花言葉には、セーラームーンのような薄黄色の花には「ほどよき恋愛」紫色には「悲哀」などがある。

負けていない新種フロリスタン

フロリスタンの花言葉は「負けない」。赤と黄色のグラデーションで織り込められた異端児の花。その色姿からは、黄色の花達には負けていないとの意気込みが見えて来る。


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 プロカットオレンジ            セーラームーン
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 バレンタイン               ゴッホのひまわり
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 作用町 南光ひまわり畑


きょうの音楽


葉加瀬太郎 「ひまわり」

東日本大震災が起きた平成23年3月に放送されていたNHK連続テレビ小説「てっぱん」のオープニングテーマ曲「ひまわり」。ロンドン在留だが、演奏会では欠かさず負けない「ひまわり」を演奏している。以下は産経ニュース。

『ドラマの放送は約1週間中断。放送再開時には、被災地から「この曲がまたテレビから流れてきてくれて本当にうれしい」という手紙が寄せられた。
葉加瀬はこれを読み、「この曲は震災が起きるまでの『何でもない幸せな日常』の象徴のような曲だと思いました。それ以来、この曲は僕にとって日本復興への応援歌になりました」と振り返る』

ぜひ、後半に子供達が出て来る最後まで。


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