2019年05月13日
寝むる時間も惜しい、万葉の藤
藤の花は万葉のころからから存在し、天皇貴族に愛されており現在よりも高貴に扱われていた。万葉集では藤を詠んだ歌は26首ある。多くは藤のことを藤波と呼ばれていた。藤のしなやかな繊維を利用して、衣類としても利用されて、海女などが着ていた。
その記述は古事記にもあり、樹皮を剥いて灰汁で煮たものを裂き糸にして編んでいた。衣は丈夫で、いばらの藪に入っても破れず水にも強く、江戸時代まで仕事着として用いられていた。平安時代は、貴族の間では喪服として利用され衣類としては粗末なものであった。
いささかに 思ひて来しを多古の浦に 咲ける藤見て 一夜経ぬべし 久米広縄
いささか、ほんのすこし藤の花を思って多古の浦に来てみたら、言いようもない美しさで咲いていた。藤の美しさで寝る暇はないであろう。
大君の、塩焼く海人の、藤衣、なれはすれども、いやめづらしも 詠み人知らず
天皇に献上する塩を焼く海女が着ている、藤づるの皮の繊維で織った粗末な衣服藤布の衣着は、慣れるとよいものなのであろう、ひとしお心ひかれる面白いものである。着慣れた藤衣のような古女房、少し強いけれど、これは良いものなのである。
恋しけば、形見にせむと、我がやどに、植ゑし藤波、今咲きにけり 山部赤人
あなたが恋しいので、形見にしようと思い家の庭に植えた藤の花がいま咲き誇っている。藤の花と恋人、叙情性を持った歌である。
我が宿の、時じき藤の、めづらしく、今も見てしか、妹が笑(え)まひを 大伴家持
私の庭に咲いた、季節外れの藤のように、珍しくも今あなたの笑顔を見てみたい。歌の題詞に、大伴家持が季節はずれの藤の花と萩の紅葉を折り取って、坂上大嬢に贈った歌、とある。
藤波の、咲く春の野に、延ふ葛の、下よし恋ひば、久しくもあらむ 詠み人知らず
藤の花が豊かに咲く春の野に這うように延びている葛のように、人目につかぬように密かに恋していたら、想いが叶うまでにずいぶんと時が経つであろう。
戦前ベルリンの異様な光景 「Berlin 1939 Color」
世界第二次大戦の前夜におけるドイツ・ベルリンがyou tubeに投稿されている。ドイツ分裂の象徴であったパリ広場から見るブランデンブルグ門、その門飾りの”4頭馬車と勝利の女神ヴィクトリア像”が見える。
ベルリンの街は鍵十字に溢れ、鮮烈なファシズム色一色で目を覆われる。女神ヴィクトリア像はナポレオンによって持ち去られ、また取り返した門飾り。画像を流れる音楽は、他愛ない村娘のお話しとなっているが、これが旧ドイツ軍の軍隊行進曲である。
このような場面の映像を見たのは初めてであるが、記録映像として紹介されている。
ちょうど1939年はドイツ軍がポーランドに侵攻し、世界第二次大戦が始まった年。この映像の前後時代を検索してみた。
1938年3月12日ドイツは軍事的恫喝を背景にしてオーストリアを併合。
1939年3月15日ドイツ軍はチェコ全域を占領。
1939年9月 1日ドイツのポーランド侵攻。第二次世界大戦の始まりとされる。
1939年9月 3日イギリス・フランスがドイツに宣戦布告した。
1940年5月10日ドイツはノルウェー、ベネルクス三国、フランスなどを次々と攻略。
1940年6月14日ドイツ軍パリに無血入城。
1941年6月22日ドイツソ連へ侵攻する。
1941年9月27日ドイツはイタリア、日本、日独伊三国軍事同盟を締結した。
1941年12月8日 日本が真珠湾を攻撃した。
「Berlin 1939 Color」
THIS VIDEO IS NOT POLITICAL. IT IS ONLY FOR HISTORICAL PURPOSE.
1. 彼女は朝早く起きた まさに夜が明ける45分前に
夜が明けるまで。
2. 彼女が森に入ったところ 猟師の使用人に出会った
3. そこで彼女が戻ろうとしたとき 猟師の息子に出くわした。
2019年05月07日
くれないの牡丹咲く

くれなゐの牡丹咲く日は大空も
地に従へるこゝちこそすれ 与謝野晶子
庭に咲く紅色の牡丹が見事に咲いている。牡丹の花に添えるように、青々としたあの大空さえもが地に平伏したように見える。花言葉は「王者の風格」、その理由がよく分かる。
牡丹ちる日も夜も琴をかきならし
遊ぶわが世の果つるごとくに 与謝野晶子
一日中琴をかきならし遊興に耽っていた私も、あの牡丹と同じように果ててしまうのであろうか。牡丹は美しく華やかに咲いき、一息に崩れるように散ってゆく。
さすがに牡丹の別名は豊富である。「花王」「百花王」「百花の王」「花神」「花中の王」
「富貴草」「富貴花」「天香国色」 「名取草」「深見草」「二十日草(廿日草)」「忘れ草」
「鎧草」「ぼうたん」「ぼうたんぐさ」 万葉集には牡丹はまだ載っていないが、平安時代に登場している。
蜻蛉日記 中巻 平安初期(971年頃) 「何とも知らぬ草どもしげき中に、牡丹草ども いと
情けなげにて、花散りはてるを見るにも」
枕草子(1001年)平安中期
「台の前に植ゑられたりける牡丹などのをかしきことなど、のたまう」
経信集(1097年頃)・源経信 平安中期
和歌:「きみをわがおもふ心の深見草 花のさかりにくる人もなし」
千載集(1188年頃)・賀茂重保 平安末期
和歌:「人しれず思ふ心は深見草 花咲きてこそ色に出でけれ」
高倉健の映画、昭和残侠伝「唐獅子牡丹」を思い出す。獅子は「百獣の王」 牡丹は「百花の王」この二つの組み合わせが、任侠の世界でいう男気の象徴であった。この映画は昭和40年からシリーズで9編作られた。
東映の映画『昭和残侠伝』の主題歌 ⇒ s://youtu.be/LmzVr4W_p1s
義理と人情を 秤(はかり)にかけりゃ
義理が重たい 男の世界
幼なじみの 観音様にゃ
俺の心は お見通し
背中(せな)で 吠えてる
唐獅子牡丹
親の意見を 承知ですねて
曲がりくねった 六区の風よ
つもり重ねた 不孝のかずを
なんと詫びよか おふくろに
背中で泣いてる 唐獅子牡丹
4月28日 姫路城牡丹園
今日の音楽
カール・ジェンキンス作曲 「パラディオ」
ヴァイオリン
カミーユ・ベルトレ ジュリー・ベルトレ フランスの神童姉妹による演奏。
「Camille & Julie Berthollet」 2014年、フランスの大晦日特別番組「Prodiges-才能ある若者たち」で優勝。当時15才の妹カミーユ(左側の髪が長い人)はヴァイオリンとチェロを自在に操る天才肌のプレーヤー。
作曲者のカール・ジェンキンスはかってはイギリス・ジャズ・ロックの世界で活躍し、現在はクラシック・現代音楽作曲家として確かな地位を得ている。
曲名のパラディオとは16世紀ルネッサンスの建築家アンドレ ア・パラディオの建築を指し、調和と古典的な建築要素がこの音楽と共通するとの意味を持たせている。軽快で品のあるメロディーで心地よい。
Camille et Julie Berthollet - Palladio
2019年05月01日
深夜の思い 中原中也
これは泡立つカルシウムの
乾きゆく
急速な――頑(がん)ぜない女の児の泣声(なきごえ)だ、
鞄屋(かばんや)の女房の夕(ゆうべ)の鼻汁だ。
林の黄昏は
擦(かす)れた母親。
虫の飛交(とびか)う梢(こずえ)のあたり、
舐子(おしゃぶり)のお道化(どけ)た踊り。
波うつ毛の猟犬見えなく、
猟師は猫背を向(むこ)うに運ぶ。
森を控えた草地が
坂になる!
黒き浜辺にマルガレエテが歩み寄(よ)する
ヴェールを風に千々(ちぢ)にされながら。
彼女の肉(しし)は跳び込まねばならぬ、
厳(いか)しき神の父なる海に!
崖の上の彼女の上に
精霊が怪(あや)しげなる条(すじ)を描く。
彼女の思い出は悲しい書斎の取片附(とりかたづ)け
彼女は直(じ)きに死なねばならぬ。
1連〜3連、なにもかもが寝静まった深夜、一人思索にふける中也は、次々と幻想に落ち込んでゆく。後半4〜5連は最後に見た幻想、ゲーテの「ファウスト」のマルガレエテが黒き浜辺に歩み寄る。マルガレエテとはファウストの子供を宿したグレートヒェンの愛称。
グレートヒェンは嬰児殺しの罪で(ファウストとの間に出来た子供)死刑に処せられた女性。いちど地獄に落ちたが悔悟によって聖母マリアの許しを得て天上に登った。「彼女の思い出は悲しい書斎の取片附」とあるが、彼女は長谷川泰子。
マルガレエテは、「グレートヒェン」=泰子を引き出すため。黒き浜辺に歩み寄る泰子、被ったヴェールが風に吹き飛ばされそうな崖に立ち、神の裁きを受けさせるために海に跳び込ばねばならぬ。
悲しみの中で書斎を片付け、泰子の引っ越しを手伝ったのが最後の思い出。中也はその泰子に、「彼女は直(じ)きに死なねばならぬ」と厳しく断じている。泰子が友人小林秀雄の下に去ったことで、それほどまでに深い哀しみと、悔しさに満ちていたのである。
4月17日撮影 姫路温室植物園あじさい展
きょうの音楽
オッヘンバッハ 「ホフマンの舟歌」
ATTIKA Musica Poetica Orchestraは1993年ギリシャでマンドリン音楽を国際的に広げるために結成された。ルネッサンスからモダンまで音楽を解釈する唯一のギリシャのマンドリンとギターのオーケストラ。心地よいマンドリンとギターのアンサンブルが聞こえて来る。
Barcarolle, J.Offenbach, ATTIKA "Musica Poetica" official version
2019年04月25日
ディートリッヒ 中原中也
マルレネ・ディートリッヒ 中原中也
なあに、小児病者の言うことですよ、
そんなに美しいあなたさえ
あんな言葉を気にするなんて、
なんとも困ったものですね。
合言葉、二週間も口端(くちは)にのぼれば、
やがて消えゆく合言葉、
精神の貧困の隠されている
馬鹿者のグループでの合言葉。
それがあなたの美しさにまで何なのでしょう!
その脚は、形よいうちにもけものをおもわせ、
あなたの祖先はセミチック、
亜米利加(アメリカ)古曲に聴入る風姿(ふぜい)、
ああ、そのように美しいあなたさえ
あんな言葉に気をとられるなんて、
浮世の苦労をなされるなんて、
私にはつまんない、なにもかもつまんない。
ディートリッヒ主演映画が日本で上映されたのは昭和6年2月「モロッコ」、次いで5月「嘆きの天使」である。中也はこれらの映画を見て、人気女優ディートリッヒから個性的で退廃的ともいえる強烈なイメージを得た。
ドイツ映画界の人気女優ディートリッヒはヒットラーを嫌ってアメリカへ渡航。映画女優、歌手としてブロードウェイの舞台に立ちアメリカの市民権を得て、ヒットラーからの帰国要請にも応じていない。
戦場の兵士が故郷の恋人への思いを歌ったドイツ軍歌リリー・マルレンを英語で歌い、連合軍側の慰問活動をする。このような反ドイツの立場をとったディ−トリヒは、ドイツ国民から厳しい攻撃を受けた。
はじめはドイツ軍で流行し、次第に連合軍側でも英語で歌われ大ヒット。大戦中、敵味方が同じ歌を歌い、リリー・マルレーンは若者達のロマン心を捉えて、かってない国籍のない軍歌となった。
兵舎の大きな門の前に
街灯が立っていたね
今もあるのなら
そこでまた会おう
街灯のそば 僕らは一つ
リリー・マルレーン
二人の影が重なり
一つに溶けていく
愛しあっていた僕ら
ひと目で分かるほどに
街灯のそば 僕らは一つ
リリー・マルレーン
もう門限の時間がやってきた
「ラッバが鳴っているぞ、遅れたら営倉3日だ」
「わかりました、すぐ行きます」
だから俺たちお別れを言った
君と一緒にいるべきだったのか
リリー・マルレーン、、、 (5番まで続く)
Marlene Dietrich - Lili Marleen ドイツ語版
詩の中に「あなたの祖先はセミチック」とあるが、セミチックはセム族のことを指す。セム族はユダヤ、ヘブライ、アラブなどの人びとを意味するが、その出所はディートリッヒからは見えてこない。
昭和6年10月、新宿の映画館「武蔵野館」が、グレタ・ガルボに似た女性を公募した時に一等に選ばれたのが長谷川泰子であった。グレタ・ガルボはマルレネ・ディートリッヒと並ぶ世界を沸かせていた人気女優、中也はそのような泰子をディートリッヒに重ねたと思われる。
パリ・ノートルダムの火災
題名は悲惨であるが火災前の美しいノートルダムが次々と見える。ノートルダム炎上ニュースは驚きであったが、やがて修復して多くの人々の感動を集めるに違いない。
Fire at Notre Dame de Paris
2019年04月19日
淡路夢舞台・桜祭りの花々
淡路夢舞台で浮世絵で詠む江戸の花見をテーマー「花見の庭」の桜祭りがあり、4月14日で終了しています。4月11日に撮った写真でご紹介します。
温室に桜の木を植え替えて、「花見の庭」と題して華やかな花の宴を展示していました。江戸の庶民が浮世絵から読み取って、庶民の住居やそのまわりに伝統園芸植物で再現し、庭には様々な花が植えられています。
早咲き、遅咲き、枝垂れ桜に八重桜等の桜を用い、浮世絵に出てくるような「花見」のシーンが大温室内に作られており相当な努力を感じました。
きょうの音楽
モーツァルト クラリネット協奏曲 (K) 622-第2楽章ニ長調 アダージョ
この第二楽章は簡潔で静かな室内楽風で、長調とは思えないような曲です。アフリカを舞台にしたレッドフォード主演、映画「愛と哀しみの果て」に使われています。
2019年04月15日
散りゆく桜
<青空に白波が立つ>
さくら花 ちりぬる風の 名残りには 水なき空に 浪ぞたちける (古今集 紀貫之 )
散り際の桜に、風が花びらを散らしながら吹き抜け、花びらは高く青空に舞い、空には白波が立っている。人は満開の桜に魅了され、散り行く桜に感動する。受粉で花弁を切り離した桜の老化現象、一斉に散る桜のいさぎよさは格別である。
<心騒ぐこの世の花>
世の中に たえてさくらの なかりせば 春の心は のどけからまし(古今集 在原業平)
この世の中に桜の花がなかったら、春はもっと長閑な季節であっであろう。それなのに人は桜が咲くのを待ち焦がれたり、散るのが気になりどうにも落ち着かない。日本人の桜への愛着心は確かなもとなってゆく。
<桜は散っても春の形見>
桜いろに 衣はふかくそめてきむ 花のちりなむ のちのかたみに (古今集 紀の有朋)
着物を濃いさくら色に染めて着てみよう。やがて桜の花が散ってしまっても、その後の思い出になるように。着物染めて桜の色を記憶にとどめるとは、桜に対する愛着がすご過ぎである。
<心替りを悟られないように>
花見れば 心さへにぞ うつりける 色にはいでじ 人もこそしれ (古今集 大河内躬恒)
すでに色あせて散りかかった桜の花を見ていると、私の心までもが変わってしまった。だが、それを顔色に出してはならない。自分の移り気が人に知られてしまう。花は、桜と女性のこと。
<霞が染まり空までが桜色>
花の色に あまぎる霞立ちまよひ 空さへ匂ふ 山桜かな (新古今集 藤原長家)
花の色を映した霞が空まで立ち上り、桜色になって匂いながら山桜が咲いている。山に桜色の霞がかかり、そこはには無限の風景が織りなしている。
中国では梨の白い花が純愛の美しさとされており、楊貴妃の悲しく涙を流す姿を、春の雨に濡れる梨の花に例えている。「玉容寂寞涙闌干、梨花一枝春帶雨」
平安以来「花」と言えば桜となり、梅は実を育てる花となって一歩退いた。和歌の世界では咲く桜よりも、「桜散る」の賛美の方が半分以上を占め、日本人の桜散るの美意識は、世界に類のないものである。
4月15日 散り始め
きょうの音楽
荒城の月 鮫島有美子
you tubeの中から一番の推奨 ⇒ https://youtu.be/SbLuhlq-qik
荒城の月は合唱付き独唱がいいのですが、残念ながら転用貼り付けが出来ません。クリックしてお聴き下さるとうれしいです。
独唱 小林一男 (合唱)都立 八潮高校合唱部 (演奏)東京フィルハーモニー交響楽団
1983/1 放送。

2019年04月09日
春と恋人 中原中也
春と恋人 中原中也
美しい扉の親しみに
私が室(へや)で遊んでいると、
私にかまわず実ってた
新しい桃があったのだ……
街の中から見える丘、
丘に建ってたオベリスク、
春には私に桂水くれた
丘に建ってたオベリスク……
蜆(しじみ)や鰯(いわし)を商(あきな)う路次の
びしょ濡れの土が歌っている時、
かの女は何処(どこ)かで笑っていたのだ
港の春の朝の空で
私がかの女の肩を揺ったら、
真鍮(しんちゅう)の、盥(たらい)のようであったのだ……
以来私は木綿の夜曲?
はでな処(とこ)には行きたかない……
私にかまわず実っていた新しい桃もそうだが、かの女は何処(どこ)かで笑っていた、私がかの女の肩を揺ったらなど、出て来る女は、京都から一緒に東京へ出奔した泰子である。
丘に建ってたオベリスクやしじみや鰯の露地売りなど、かって泰子と遊んだ横浜の思い出が見えてくる。真鍮のように華やかだった泰子と別れた中也、
自分は「木綿の夜曲」だ、派手なところへは行きたくなくないという。泰子が中也の親友小林秀雄の下に走ったのは、大正14年11月。横浜の題材から初稿は大正15年の春頃のよう。
やっと春が来たのに、恋人は立ち去ったあと、中也には何とも一人寂しい春である。
4月5日 ひょうごフラワーセンター
今日の音楽
Song From A Secret Garden
チェロのステファン・ハウザーが演奏
シークレット・ガーデン(Secret Garden) はアイルランド/ノルウェーのニューエイジ・ミュージック新古典派音楽を作曲・演奏する2人組。
1996年のアルバム「Song From A Secret Garden」で、メジャーデビューを果たしており、 You Raise Me Upなどのいい曲がある。
ノルウェー出身のラルフ・ラヴランド(作曲家、ピアニスト)とアイルランド出身フィンヌーラ・シェリー(ヴァオリニスト)の二人からなるユニットで伝統音楽の香を漂わせ、穏やかなサウンドで好評を得ている。
2019年04月03日
ハウザー&キャンベル チャルダーシュ
4月2日 桜が咲き始めた姫路城
きょうの音楽
2CELLOS(トゥーチェロズ)のチェロ奏者ステファン・ハウザーと相棒のルカ・スーリッチは、凄まじいテクニックと演奏スタイルで、いまでは世界一番の人気者チェロ奏者。
2011年10月、ファースト・アルバム「2CELLOS」のプロモーションで、初めて日本にやってきて、東京で東日本大震災のチャリティ・イベントを開催。
2CELLOSはその翌年、21012年から3年間、毎年訪日し2014年3月から1ヶ月間、日本ツアーで8都市10回公演で、2CELLOSスタイルを披露して多くのファンを獲得。
きょうは、その人気の2CELLOSのチェロ奏者、ステファン・ハウザー(Stjepan Hauser、1986年〜 )とバイオリン奏者 キャロライン・キャンベルの組み合わせによる、ロマのチャルダーシュの熱演をご紹介。
バイオリン奏者のキャロライン・キャンベル(Caroline Campbell)は日本ではまだ無名に近く、ロスのソナス・四重奏団で第一バイオリンを受け持っているが、よくは知られていない。
デビューCDは2011年、二つ目が2013年。アメリカの交響楽団と21012年頃より共演しながら、次第に人気を得て来たバイオリン奏者。
キャンベルは、 クリーブランド音楽院で学んでいたが途中、スタンフォード大学に転入(2000年)して、コンピューターサイエンスの学士号と、社会学の修士号(2004年)を得た才女。現在ロスを 拠点とするソヌス四重奏団(Sonus Quartet)に所属している。
ソヌスはこれまでにないジャズ、クラシックなどを、斬新な音楽スタイルを融合させ演奏する弦楽四重奏団で、検索しても日本語ではなにも出てこない。
ステファン・ハウザーとキャロライン・キャンベルのこの斬新な組み合わせは、昨年2018年11月にアップされて以来わずか4ヶ月で、閲覧数2百70万回を数えている。
きょうの音楽
モンティ作曲: チャルダーシュ
2018年 8月 クロアチア、アリーナ・プーラでの演奏
チェロ:ステファン・ハウザー (Stjepan Hauser)
バイオリン:キャロライン・キャンベル(Caroline Campbell)
Hauser & Caroline Campbell - Czardas
2019年03月27日
「春宵感懐」雨があがって風が吹く 中原中也
シロヤマザクラ (昨年4月)
「春宵感懐」 中原中也
「春宵感懐」( しゅん しょう かん かい) 春の宵、心に抱く思い。亡くなる前年(昭和11年)の作、「在りし日の歌」に収められている。
雨が、あがって、風が吹く。
雲が、流れる、月かくす。
みなさん、今夜は、春の宵(よい)。
なまあったかい、風が吹く。
なんだか、深い、溜息(ためいき)が、
なんだかはるかな、幻想が、
湧(わ)くけど、それは、掴(つか)めない。
誰にも、それは、語れない。
誰にも、それは、語れない
ことだけれども、それこそが、
いのちだろうじゃないですか、
けれども、それは、示(あ)かせない……
かくて、人間、ひとりびとり、
こころで感じて、顔見合(かおみあわ)せれば
にっこり笑うというほどの
ことして、一生、過ぎるんですねえ
雨が、あがって、風が吹く。
雲が、流れる、月かくす。
みなさん、今夜は、春の宵。
なまあったかい、風が吹く。
春の宵、雨が上がり風が吹き、雲が流れ月を隠す。宵の中に隠された幻想は、誰にも見せられないし、語ることすら出来ない。これこそ春の宵の命、だが、それを示すことは出来ない。人はみな孤独である。心で感じて顔を見合わせ、目が出会えばにっこり笑って一生を過ごす。
11世紀半ば蘇軾(そしょく)の七言絶句「春夜」では、春の宵は一刻千金だという。
「春夜」 蘇軾
春宵一刻直千金
花有清香月有陰
歌管楼臺聲細細
鞦韆院落夜沈沈
「春宵一刻直千金、花に清香有り月に陰有り」
春の宵は一刻千金に値する。花は清らかに香り、見る月はおぼろに霞んで影がある。先程まで歌を歌い、楽器を奏で賑やかだった高殿はいまは幽か。中庭には婦人のぶらんこが一つ、夜は静かにふけていく。
一刻はおよそ30分、僅かな時間でも素敵な幻想を味わうことが出来る春の宵、さぁ、今宵、久々外へ出てみよう。
きょうの音楽
モーツアルト ピアノ協奏曲 第27番 変ロ長調 第3楽章
ピアノ マレイ・ペライア(Murray Perahia)
モーツアルトの歌曲「春への憧れ」はこの第三楽章のメロディーから生まれている。陽気でリズミカルで、早く春を迎えたいという気持ちが伝わって来る。
第三楽章は、9分20秒ほど。このyou tubeは3分で途中で途切れて終わるが、春への憧れを聞くには十分、とってもいい演奏である。
Mozart: Piano Concerto No. 27 / Perahia ・ Berliner Philharmoniker
3月19日 河津桜 さんしゅう
2019年03月21日
チューリップ・鬱金香

チューリップの和名を鬱金香(ウコンコウ)と言う。江戸末期にオランダから日本に渡来し、本格的な球根保存による栽培は、大正時代に富山県砺波市で始まった。
花の香りが、カレーのスパイスや食品を黄色に染めるために使うウコン(鬱金)と、同じような香りがすることから鬱金香の名がついた。
チューリップを和名の鬱金香で詠んだ白秋の歌がある。
鬱金香の匂いのもとに わづかなる 眩暈を覚え昼も思ひぬ 北原白秋
白秋はチューリップの匂いを嗅ぎ、めまいをしたという。ウコン(鬱金)は、ショウガ科ウコン属の多年草。英語名ターメリック (turmeric)。
インドが原産で、紀元前からインドで栽培されている。「鬱金」の原義は「鮮やかな黄色」。


李白が詠んだ漢詩の中に「蘭陵の美酒 鬱金香」という一節がある。李白は中国山東省の蘭陵で、ウコンを酒に浸して色や香りをつけた鬱金香の酒を飲み詠った。
客中行 李白
蘭陵美酒鬱金香 蘭陵の美酒 鬱金香
玉椀盛來琥珀光 玉椀 盛り来たる 琥珀の光
但使主人能酔客 但 主人の能く人をして酔わしめば
不知何處是他郷 知らず何れの處か是れ他郷
蘭陵の美酒は鬱金の香りを漂わせ、 玉の碗に注がれて黄色い琥珀の光を放っている。李白は言う、私には、ただこの家の主人がたっぷり酔わせてくれればそれでよい。
異郷の地であるとか、住み慣れた場所だとか、そのようなことはどうでもいい。酒さえあれば、どこでもそこが我が家である。
客中行とは旅先で作った歌のこと。蘭陵の鬱金香酒は美味いとされ、酒飲みの李白は鬱金香の酒で大いに満足している。
しかし、チューリップが鬱金香(ウコンコウ)では読み難く、インドカレーの仲間ではかわいそう。いつしか日本も英語読みのチューリップが一般化したようだ。
また、チューリップの花の香りは様々で、薬のようなスパイス様の香りや、ジューシーでほのかな香がするものもある。
3月19日 ひょうごフラワセンターのチューリップ祭り
きょうの音楽
モーツァルト/ピアノ・ソナタ 第14番 ハ短調 第1楽章,K.457
ピアノ アンドレイ・ピサレフ(1962年〜)ロシア・ロストフ生まれ。1983年ラフマニノフ・コンクール優勝、第5回国際モーツァルトコンクール優勝。