2009年06月02日

破綻したアメリカの夢

車はアメリカの夢だった。そのトップGMが破綻した。
アメリカは豊かな自動車社会を作り上げ繁栄を極め、国道ルート66はシカゴから
ロスまでつづく。

T型フォード成功とともに自動車社会を夢みて国策で作ったルート66。

お陰で利益を上げたフォオードが次々と鉄道会社を買収しその路線を廃止する。
このように国民に自動車を買わせた歴史があります。

ロスにも、シスコにもまだ市電のレールが残された道路があり、そのレールの上を車
で走る度に自動車がこの鉄道をつぶしたんだ、、と自分はつぶやいていた。

東部から西部へ、成功の夢を求めてルート66を使って多くの人が移動した。
映画スターを目指しハリウッドで成功したかっての名優達もこの道ルート66を使った。

資本家に見放された労働者がオンボロ車でカリホルニアを目指した「怒りの葡萄」
の舞台や、全米からショーと賭博のラスベガスを目指したのもルート66だった。

この夢の道ルート66は今は寸断されて見る影もない。


アメリカ経済はデリバティブ商品のサブプラで破綻した。1997年ノーベル経済学
賞はデリバティブのモデルを作ったタマートンとショールズという2人の数理経済学
者が受賞した。この偉大な発明が、GMやリーマンを破綻させた。

GMはとうとうガバメント・モータースになり、結果は高額なリタイアー年金、高額医療
費を政府が保証しなければならない。
政府の財政赤字負担はますます増大し、将来に向けドル安の大きな下地を作った。

自動車産業、金融業、IT、全て同じ、時の繁栄は必ず将来に多くの負債を残すとの
教訓のようだ。

凋落するアメリカの夢。 しかし、このままで終わらないのもアメリカ。

次は何をしでかすのか。創造と破壊そして再生の繰り返し、何とも逞しいアメリカ
です。


2週間前に植えた、花、また鹿に食べられました。

まだまだ、鹿との戦いです。野菜が少なく淋しいのできょうトマト3本追加しました。




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2009年05月28日

平成の蟹工船

100年に一回の大不況。派遣社員、正社員も含め労働者の切捨てを、昭和初期の蟹工船になぞらえて、小林多喜二小説蟹工船が話題になっています。

昭和初期の世界大恐慌以来と云われていますが、当時は現在の比ではなくアメリカの失業率は25%です。いつの世も同じで、資本家が弱い労働者を犠牲にする蟹工船がそれを代表しています。

異才監督のSABUが松田龍平主演で平成の『蟹工船』は7月4日に封切りされます。

自分には何だか、違和感がありそうですが上映を楽しみにしています。 昭和28年製作映画蟹工船ですが、戦後8年目で日本の労働運動が盛んになったころの映画です。

労働者を団結させるための好材料の映画としてよく労働集会などでリバイバル上映されていました。私も同様な場所で学生時代に見て忘れられない映画の一つになっています。

小説蟹工船
http://www.aozora.gr.jp/cards/000156/files/1465_16805.html


昭和初め世界大恐慌の不況で仕事にあぶれた鉱夫、農夫、労働者たちを乗せた蟹工船(蟹の缶詰を作る工場船)は漁場めざして函館港を後にした。


食えない農民が生きるためにカリホルニアを目指したあのスタインベック「怒りのぶどう」と舞台は同じです。

吹きすさぶ嵐、 船酔、不潔な生活で続出する病人たち。蟹工船の幹部らは病人達にむりやり作業を強制します。

浅川工場総監督の冷酷さはSOSを発する僚船を救助しないで自分の漁獲高を上げるため漁場に 向かい、見殺しにする。カムチャッカ漁場では波浪警報も無視し操業させて多数の遭 難者を出す。
 
連日の酷使についに倒れた労働者に偽病人として扱い縛りあげる。また反抗した雑夫は撲殺される。
生産高にあせったた浅川監督は、 拳銃で雑夫らの反抗をおさえてソ連領海への侵入を企てる。

過労で病死した青年 を海に沈めた無情さに怒りが心頭に発した労働者は、集団で立ち上がり、就業を拒みストライキを敢行。
 
騒乱で駈けつけた駆逐艦から武装した水兵が蟹工船に乗り込んできた。雑夫労働者達は海軍が自分達を助けてくれと信じて喜んだ。しかし海軍は扇動者を拘束する。

彼らを奪還しようと騒ぐ雑夫たちと水兵と乱闘状態となる。軍に抵抗したため反乱とみなされ、多数の雑夫が撃たれて殺されます。

国民を守る軍隊が資本家側についたことで、雑夫労働者達はさらに団結します。 年末年始に行き場のない人たちのTV報道に多くの人たちはこの蟹工船を思い浮かべたことでしょう。



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2009年05月23日

山の家の菜園

菜園は鹿に食べられるので囲いが大事で、天敵は虫よりも鹿と猪です。
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IMG_3861食われのキュウリ





キウイ
コピー (1) 〜 IMG_3863IMG_3859
IMG_3890

お茶の木これで煎茶を作りました 



 

 


みんなでバーベキューIMG_3870をするところ
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キウイは毎年未熟で食べられません。これからは除草が大変なんです。
自家で食べるだけの、わずかにトマト2本とナスビ2本、ピーマン2本だけです。藤の花は終わりました。
今年初めてこのお茶の木から一番茶を作りました。ネットに書いてあったやり方をコピーして挑戦、茶を蒸してから素手で揉み上げるが、これがなかなの重労働。手揉みだけでたっぷり7時間、最後にやや強火で炒り上げます。茶摘から出来上がりまで丸一日かかりました。
味は結構いけますが、これで1ヶ月飲める量です。手揉み煎茶が高いのがよくわかりました。


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2009年05月20日

18年前の上海

旧フランス租界は現在見る影もありませんが、18年前には写真のように美しいフランス住宅があ
り行政府の人達やお金持ちが住んでいました。

写真は老朽化して周りから順次消えつつありますが、その後の再開発で全て姿を消し現在は高層
マンションが林立しています。 

これはヒルトンホテルから写した写真です。
ホテル内は欧米人達ばかりで、既に欧米企業の先行投資が進んでおり日本人はチラホラの状況
でした。国有企業を見学すると機械設備のほとんどは欧米の最先端設備で驚きました。そのあと
すぐに日系が洪水のごとく押し寄せます。

(画像をクリックするとフランスの風情がみえます)
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夜景を写した黄浦川IMG_0002です。現在の東浦地区で高層ビル群になっています










イギリス租界近くに上海に初めて高速道路ができた頃です。
車はちらほらでしたが、現在は連日大渋滞です。
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イギリスと日本租界の境界となる
天蓋橋です。(上海事変発祥の地)当時宿泊したホテルからの写真。












当時外国人には兌換元しか両替されなかったので、一般商店では買い物が出来ず、兌換券専門店のみ通用でしたから、どこも値段は高く外国人物価として悪評でした。
さらに市中物価水準の2倍以上悪い為替レートだったようで、外国人は市民生活者の3倍の値段で買わされていたような記憶があります。開放経済政策で1995年に解消されています。

外貨兌換券は政府が外貨を管理するために1979年に導入し、1995年に廃止された紙幣。外国為替専門銀行であった中国銀行が発行し、外国人が観光や商用で外貨を両替すると渡された。

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2009年05月14日

上海・黄浦川の夜景

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長江支流黄浦運河からの夜景です。
右上が旧英米租界の外灘。他3枚は経済発展シンボルの浦東です。
川を挟んだ両岸に100年前のビル群と新しいデザインビルが並んでライトアップされた夜景
は壮観です。来年の上海万博の会場はこの川岸です。昼間はあちらこちら工事だらけです。
撮影は小雨降る中だったので高層ビルにはガスがかかっていました。

初めて上海を訪問した時は浦東は寂れた農村地帯でした。
この黄浦川には長江経由で地方の人たちを満載したランチ船が何隻も行き来していました。
現在そのような船は見かけません。
豪華客船と遊覧船だけですが、この川沿いは煌びやかな電飾で夜は見事です。

上海夜景写真
http://www.imagegateway.net/a?i=I9KkabymTo



IMG_3438天蓋橋

橋の右側が旧日本租界です。
左側がアヘン戦争で得た英国の旧租界、現在
の外灘地区です。
この橋を挟んでやっと統制された国民軍と日本
軍が初めて本格的な戦闘状態に入りました。
上海事変です。

これをきっかけにして一挙に中国全土に戦いが拡大されて
日中戦争に突入します。日本軍は上海から一挙に南京を
陥落します。

統制された国民軍が初めて戦った場所です。現在は100年
前の鉄の橋として記念碑的な扱いです。水色で電飾された
橋は観光名所になっています。こんな小さな橋を電飾!!少
し驚かされました。

もう20年近く前ですが橋の右にある茶色の4階建てのホテルに
宿泊した時に居合わせた年配の商社の人から橋の由来を知りま
した。その人は思いがあっていつもこのホテルを使うそうです。
ホテルの周りに新しいビルが立ち並び様相が変わっています。

仕事で何度か訪れた上海ですが観光は始めてでした。以上で長江南部、江南の旅は終ります。



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2009年05月10日

杭州 西湖

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西湖にまつわる四大美女                                       CA428J4G

西湖の伝承で四大美人の一人、西施の入水の故事により名称が定着したと云われています。しかしこの伝承は呉越の時代とか、まだその頃の西湖は淡水化していないので漢代では西湖となっていないようです。
地図上では大湖の西に位置するので西湖と呼ばれている。これが本当のようです。伝承逸話も楽しいです。

西湖の写真です。近代ビルの波がすぐ近くまで寄せています。
http://www.imagegateway.net/a?i=JlpmbKx0UJ

四大美女画
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2009年05月08日

豫園と豫園商城界隈

豫園に隣接する豫園商城です。 商城と云うだけあって全体が城郭の雰囲気で、江南地方の伝統建築で統一されています。

下のアルバム開けて右にあるスライドショーが便利です。アルバムは豫園と豫園商城や家具工芸などです。
http://www.imagegateway.net/a?i=IDuiZLVFLq


記念館前にある魯迅公園では平日でも公園にたくさんの人が集まりダンスや太極拳などで楽し
んでいました。さすがに中国、どこでも人が多いです。
場所は魯迅も住んでいた旧日本租界です。日本人が住んでいた旧租界は、銀行や商社が集ま
った米、英、仏租界と違い上海外国語大学や公園、住宅に囲まれて欧州側の旧租界と雰囲気
が違っていました。

魯迅は「阿Q正伝 」や「狂人日記」の主人公を当時の中国人と見立て散々にこき下ろしています。
更に孫文の辛亥革命にも彼は全く無関心だったので、革命後中国の魯迅評価に興味を持って拝
観しました。

ところが記念館はすごく立派で驚かされ、その立派さが評価の証だと思った。
来館者も多く、館内には大きな字で「民族魂」と書かれていたのに強い印象を受けました。

ここでは「奮い立て中国人」の思想家の扱いでした。仙台時代に敬愛していた藤野先生との関係
書簡も展示され、官憲からかくまってもらった内山書店も再現されています。



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2009年05月04日

蘇州と蘇州夜曲


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三国志の呉国孫権の都であった蘇州は上海より車で2時間半、マルコポーロが東洋見聞録で世界一美しい町として紹介しました。

古来よりシルク産業が盛んで、蘇州からシルクロードを経て絹織物をヨーロッパに運び富が集積したので9ヶ所の個人庭園が世界文化遺産に登録さています。

郊外に工業団地が増え、かっての水郷の町の風景が姿を変えようとしています。平原綾香の蘇州夜曲を聴き、李香蘭「蘇州夜曲」を思い出しての江南の旅でした。

楓橋夜泊
「月落ち烏鳴いて霜天に満ち江楓の漁家愁民に対す、、、」
1960年代に高校教科書に漢詩が掲載され一躍有名になった寒山寺がとっても印象的でした。


蘇州夜曲
平原綾香、夏川リミも歌っていますが、昭和15年映画「支那の夜」の挿入歌で戦後「蘇州夜曲」として再上映された。

君ががみ胸に 抱かれて聞くは夢の船唄 鳥の唄
水の蘇州の 花散る春を惜しむか柳が すすり泣く

髪に飾ろか 口ずけしよか 君が手折りし 桃の花
涙ぐむよな おぼろの月に鐘が鳴ります 寒山寺
 
李香蘭山口淑子の蘇州夜曲


絶唱という名に値するのは、映画の中で李香蘭自身が唄うシーン。レコードとは違ってゆったりとしたテンポで連綿とした恋情を感じさせる。
映画では李香蘭はこの幸福なシーンでは1番と3番を続けて歌う。

歌詞の3番に合わせて、長谷川一夫が桃の花を手折るシーン、映画では上海旧家の娘であった桂蘭が、戦争で廃墟となったかつての自宅の前で父母の名前を呼びながら、
わずかに残った桃の花を手折りつつ幸福だった昔をしのぶ場面がある。

「桃の花」は失われた幸福のシンボル。その桃の花を今度は日本男児の長谷川一夫が桂蘭に捧げることで、戦災の不幸を乗り越えて二人が結ばれる(日中が結ばれる)
ということで演出に意図がありました。

日中合作映画ですが、中国に対する国策映画です。
当時李香蘭は中国映画会社所属の女優で日本語が出来る中国人として人気絶頂でした。

李香蘭は日本に協力した犯罪者(漢奸罪)として中国裁判にかけられます。裏切られた中国国民の多くは極刑を望んだが、生まれた佐賀県の戸籍を取り寄せ日本人であることを証明し無罪を得て国外追放処分となります。

中国人養父(瀋陽銀行の頭取)は漢奸罪で処刑さると云う複雑な裏面があります。



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2009年04月29日

江南水郷 烏鎮

 江南の浙江省 烏鎮(ウーチン西棚四周運河の町)
4年前まで住民が暮らしていた。中国政府が観光開発のため全戸数を買取り2007年から一般公開しています。 町一つを買い取るのはさすが中国です。

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現在は民宿と土産屋さん観光客のみでベネチアのように生活実態はありません。 太秦の映画村のようで何だか淋しい町です。

明王朝の時代の名残をとどめるとか、保存状態は最高です。 北京ルートの運河を利用した交易で利益を出し染色や木材工芸も盛んで、お金持ち集団が形成され清王朝までは豊かな町だったようです。


 烏鎮(ウーチン写真集)です。 クリックすると拡大します



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2009年04月20日

レッドクリフ 赤壁の戦い 



三国志5












三国志6













 この映画で一躍クローズアアップされた小喬役のリン・チーリン。きょう久々に映画を見てきました。
三国志は吉川英治、勉強そっちのけでわくわくしながら読んだ頃がありました。

1800年前は卑弥呼の時代。それを思うと中国はすごいです。曹操軍の陣営の配置図を完成させた尚香が無事に帰還する。2000隻もの戦艦が書き込まれた配置図に連合軍は声を失うが、周瑜は戦艦と戦艦の間にある印の意味を尚香から聞き、そこに勝機を見出す。

しかし、その作戦を実行するには風向きが悪かった。そこで孔明は、気象学、地理学を駆使して、連合軍に有利な“東南の風”が吹く日を割り出そうとする。 そのころ、自分が戦争の発端であることを知ってしまった小喬は、一艘の船に乗って曹操のもとへと向かっていた……。 

圧倒的な戦力差の連合軍に、はたして勝機はあるのか 周瑜は小喬を取り戻すことができるのか。 孔明の秘策は通用するのか!? 劉備たちは戻ってくるのか!? そして、東南の風は吹くのか!? 歴史に残る大戦“赤壁の戦い”がいよいよ決着の時を迎えようとしていた。  一昨年成都の諸葛孔明と劉備の墓参りに行きましたが、劉備よりも孔明のほうに人気がありました。



naturococo at 08:26|PermalinkComments(9)TrackBack(0)