上海・黄浦川の夜景山の家の菜園

2009年05月20日

18年前の上海

旧フランス租界は現在見る影もありませんが、18年前には写真のように美しいフランス住宅があ
り行政府の人達やお金持ちが住んでいました。

写真は老朽化して周りから順次消えつつありますが、その後の再開発で全て姿を消し現在は高層
マンションが林立しています。 

これはヒルトンホテルから写した写真です。
ホテル内は欧米人達ばかりで、既に欧米企業の先行投資が進んでおり日本人はチラホラの状況
でした。国有企業を見学すると機械設備のほとんどは欧米の最先端設備で驚きました。そのあと
すぐに日系が洪水のごとく押し寄せます。

(画像をクリックするとフランスの風情がみえます)
IMG_0003









夜景を写した黄浦川IMG_0002です。現在の東浦地区で高層ビル群になっています










イギリス租界近くに上海に初めて高速道路ができた頃です。
車はちらほらでしたが、現在は連日大渋滞です。
IMG_0001
IMG
イギリスと日本租界の境界となる
天蓋橋です。(上海事変発祥の地)当時宿泊したホテルからの写真。












当時外国人には兌換元しか両替されなかったので、一般商店では買い物が出来ず、兌換券専門店のみ通用でしたから、どこも値段は高く外国人物価として悪評でした。
さらに市中物価水準の2倍以上悪い為替レートだったようで、外国人は市民生活者の3倍の値段で買わされていたような記憶があります。開放経済政策で1995年に解消されています。

外貨兌換券は政府が外貨を管理するために1979年に導入し、1995年に廃止された紙幣。外国為替専門銀行であった中国銀行が発行し、外国人が観光や商用で外貨を両替すると渡された。

naturococo at 02:41│Comments(2)TrackBack(0)

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この記事へのコメント

1. Posted by スーラン   2009年05月21日 23:42

今晩は〜。

このパソコンは絵文字が使えないようです。

18年前にはフランス風情の町並みがあったのですね。

当時の中国人の目にはどのように映ってたでしょうね。 きっと眩しかったでしょう。

中国銀行といえばかなり前に元を唯一買えるところだということで日本でもかなり引き合いがあったようです。

でも元が値上がりしないので当時買った人達は肩透かしでしたよね。

上の写真はharuka1さんが撮られた写真なのですか? そうだとしたらとても上手だと思いました。

インフルエンザがとうとう関東にきてしまいました。

関西は結構ピリピリしてますか?

2. Posted by haruka1   2009年05月23日 11:46
スーランさん

中国銀行ご存知なんですね。実は全く知りませんでした。
当時中国はドル不足で大変こまっていました。

元に力がないのに高いレートで仕方なくここで元に両替していました。 中国は円を安く買ってドルに交換しているな〜と思いました。

この写真は初めて上海へ行った時に撮ったものです。写真整理していたら出てきたので懐かしく現在と比較の意味で掲載しました。

町の雑踏の写真もありましたが、歩く人ひと人の凄さは今も昔も同じでした。

関西はインフルでおお賑わいです。姫路にも発生したので市内はマスクだらけで異様です。

アメリカはマスク効果を疑っていて、日本人が風邪をひいてマスクすると気持ちが悪いから外せと米人から言われてました。

西部劇に出る強盗団のイメージがあるようです。

今日ゴルフへ行ったらゴルフ場側はみんなマスクしていていやはやビックリです。
フロントでプレィヤーもマスクしないとダメですかと冗談で聞いたら笑ってました。 

兵庫県の女性はみんなマスク美人になってしまいました。アラブの女性と同じ、目だけがが耀いてみんな美人です。



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