アメリカ年金のお話室津は岬

2009年12月24日

室津 遊女伝説  

姫路市から西に位置する瀬戸内に「室津」と言う小さな港町がある。400人を越す朝鮮通信使や西国大名行列もここを使って船で京や江戸へ旅していた。大名達が宿泊する本陣は6軒もあった。 

船旅交通の要であり、古くより遊女の町として知られている。遊女は奈良期から平安期において、遊芸により神仏の教えを伝播することから始まった。 

各地を旅し、住所が定まらない意味も含めて、遊女と呼ばれたが、鎌倉時代になると客を遊ばせる意味の遊女が出てくるようになった。その遊女にまつわるロマンが室津にたくさんある。

室津 風光明媚な漁村          
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本陣の跡、 ここには薩摩屋、一ツ屋、筑前屋、肥前屋、肥後屋、紀伊国屋の6軒の本陣があった。宿場町の本陣は小さな宿場では1軒、大きな宿場には5軒ぐらいあった。室津は九州、四国、西国と本州を結ぶ重要な風待ち港であった。

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お夏清十郎で名高い室津の作り酒屋の息子、清十郎の生家跡がある。ところで室津の井戸水は塩水が含まれて酒は造れないので大坂説が正しいようだ。 

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下、室津にある浄運寺の鐘楼門。この寺には「遊女・友君の塚」があるが今日は、犬が激しく吠えて塚に近づけなく、写真は撮れなかった。 開創は鎌倉幕府が開かれた1185年で、法然上人の二十五霊場の一つである。

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賀茂神社 京都上賀茂神社の摂社。      神社は上賀茂神社と同じ葵の紋

室津と遊女の記録

「遊女記」
大江匡房(1041-1111)平安後期の歌人が書いた遊女記に、水路系遊女の地として室津の名が出ている。

内容は遊女の生態、遊女に接する人々の有様を漢文で描写している。当時の貴族社会の風俗の一端を知ることができるだけでなく、淀川や瀬戸内の交通の状況を知る上でも有用な史料。

「法然上人説話」
建永二年(1207)法然上人が、七十四歳で讃岐へ流されるとき、室津の港で遊女友君に出会う。友君は木曽義仲の寵愛をうけた山吹御前である。

流浪の果てに遊女になったが、罪深きを嘆き法然に救ひを求めた。法然は、本願を信じて念仏を唱えよと諭した。  

仮そめの色のゆかりの 恋にだに あふには身をも 惜しみやはする  法然  

友君は念仏を唱和し涙を流し喜びを法然に伝えた。同じ話が尼崎、神崎川の泊りにある。キリスト教に出てくる、娼婦でもあり聖女でもあった、マグダラのマリヤとまったく同じである。

「日本色道大鑑」
藤本箕山(1678)発表 俳人、鑑定家、4代将軍家綱の頃。京,大坂の遊郭をはじめ諸国の遊里の見聞を書物にした。承応3(1654)年自宅の処分で金を工面し遊郭めぐりを実行する。

それが延宝6年(1687)に出した「色道大鏡」で、幕府公認の遊郭は全国で25箇所あった。吉原や島原を除けば、交通の要所ばかりで、室津も含まれている。 

「好色1代男」 
井原西鶴天和2年(1682)発表「好色一代男」巻五・三十一章の書き出しに「本朝遊女のはじまり、江州の朝妻、播州の室津より事起こりて、いま国々になりぬ」とある。

初めに室津を、遊女発祥の地と言ったのは西鶴である。室津は西国一の港で昔より遊女が増え、行儀も大坂に引けをとらないと、室津の話を書いている。

「乱菊物語」
播磨鑑 宝暦12年(1762)に成立した地誌。 著者は平野庸脩、現在の加古川市の医者で暦算家。播磨鑑をもとに谷崎潤一郎が物語を作り、映画にもなった。

室町時代末期の播磨の大名が、室津の遊女「[かげろふ」を巡る華麗な幻想の物語である。朝日新聞の連載小説で未完に終わっているが更なる興味を醸す。

播州室明神神事 棹歌之遊女行列図」
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酒井 抱一(1761-1829) 江戸後期の絵師。狂歌での名前は尻焼猿人。姫路藩主酒井忠以の弟で、室津の遊女行列の絵画を残している。(姫路美術館所蔵)

女性だけの祭り小五月祭の絵で、ここで歌われる棹の歌に注目。毎年4月桜が咲く頃にお祭りがある。

小五月祭は、近江坂本の
日吉大社と奈良春日大社で陰暦5月9日に行われた祭礼。地方祭の多くは五穀豊穣を祈念、室津は海路の拠点で、祭りも違って都の雅びの文化が見える。

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昭和5年 谷崎潤一郎が乱菊物語を推敲した木村旅館(左中央) 千代と離別したあとの年代のようだ。竹久夢二もこの木村旅館で過ごし彦乃に手紙を書いていた。室津はロマンを沢山蓄えた小さな漁村である。

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naturococo at 18:31│Comments(4)

この記事へのコメント

1. Posted by じゅんちゃん   2009年12月25日 13:26
haruka1さん

遊女って、なんだか惹かれますね。宗教者と遊女っていうのも深い味わいがあります。

室津は一度も行ったことがありませんが、すばらしい「軽食」のご紹介で、のっけから好きになりましたぁ。

モーツアルトの宗教曲 拝聴しました。キリスト生誕の日に聴くと、格別の味わいがありますねえ。

明日から、6日まで留守をしまーす。良お年を! 来年もよろしくお願いしまーす。



2. Posted by haruka1   2009年12月25日 14:55
じゅんちゃんさん
ここ4日ほど遊女のことばかり調べていて、頭の中はまだ遊女でいっぱいです。(笑)

最後に昨日室津の写真撮りで終わりました。

しかし、女性だけの祭りの「小五月祭」について、今のところ資料が探しても出てきません。これだけが、気になっています。宿題になりそうです。

花魁は拒絶権を持つ。従ってこれが本当の遊女である。花魁にのみ遊女の名が相応しい。などと述べている人もいました。 ニッコリです。

ウィーン少年合唱団のアベベルムコルプスは素晴らしいハーモニーでした。

沢山あって選択に迷いましたが、さすがにあの合唱は最高でした。

ひょっとして、あれは、神の声、なんて思ってしまう。視聴回数139万回です。これは、すごい人気です。

じゅんちゃんさんは仕事収めですね。
今年も1年間お仕事お疲れ様です。さて、今度はどちらへお出かけでしょうか。

いい休養を、そしてまたいいお正月を。今年も、ありがとうございました。 


3. Posted by 幸喜   2012年11月20日 10:46
おかげで行ってみたい場所が一つ増えました。いつか巡ってみたいです。
4. Posted by haruka1   2012年11月20日 12:41
邦楽の「神楽」の舞台がここだと初めて知りました。清盛が宋との交易と併せて西国経営をやってここが交通の要となり急速に発展したようです。瀬戸内海国立公園西部の中心地で島々が見え絶景です。

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