夕立の雲もとまらぬ 式子内親王「秋の日」中原中也

2019年09月05日

花橘に風の吹くらん   

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        夕暮はいづれの雲のなごりにて 
                     花橘に風の吹くらん  藤原定家  新古今和歌集


夕暮れ時になると、どこの雲を吹き払った風の名残りであろうか、庭の花橘に風が吹き、昔を偲ばせる香がする。雲のなごり=雲となった故人を思い出させるもの。

亡き夕顔を夕空の雲に偲ぶ源氏の心情を重ねているが、歌の下敷きが源氏物語「夕顔」にあるという。夕顔が六条御息所の生霊によって亡くなったが、その時の状況を源氏物語(現代語訳)の一節から拾ってみた。 以下。

 紙燭を持って参った。右近も動ける状態でないので、近くの御几帳を引き寄せて、「もっと近くに持って参れ」とおっしゃる。いつもと違ったことなので、御前近くに参上できず、ためらっていて、長押にも上がれない。
 「もっと近くに持って来なさい。場所によるぞ」
と言って、召し寄せて御覧になると、ちょうどこの枕上に、夢に現れた姿をしている女が、幻影のように現れて、ふっと消え失せた。
 「昔の物語などに、このようなことは聞くけれど」と、まことに珍しく気味悪いが、 まず、「この女はどのようになったのか」とお思いになる不安に、わが身の上の危険もお顧みにならず、添い臥して、「もし、もし」と、お起こしになるが、すっかりもう冷たくなっていて、息はとっくにこと切れてしまっていたのであった。
(右近は夕顔の乳母の娘で、夕顔に仕える女房) 以上。

夕顔の火葬の煙りをみて光源氏が詠んだ歌。

     見し人の煙を雲とながむれば
               夕べの空もむつまじきかな   源氏物語 夕顔 (紫式部)

契った人の火葬の煙をあの雲かと思って見ていると、この夕方の空も親しく思われる。亡くなった夕顔が夕べの雲と重なり、光源氏には心惹かれる夕景であった。

定家が下敷きにした源氏物語の夕顔は、すでに200年も経ている。その歌を下敷きとは、時代が違うと言えども、歌の世界は何とも悠長でのんびりしたもの。

また定家のこの歌については、常縁口伝和歌(1400年代初期)や美濃廼家苞(1819年刊行新古今の注釈書)によれば、中国の「高唐賦」に書かれた、巫山神女の故事を歌にしたものという。

高唐賦:宋玉の詩。戦国末期、楚の文人で屈原の弟子。
楚の懐王が夢の中に出てきた巫山の神女を愛したが、女が去る際に「朝には雲となり、暮れには雨となり、朝な夕な陽台の下で会いましょう」と言い残した。「朝雲暮雨」は、男女の密やかな堅い契りを示す。

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きょうの音楽

モーツァルト  ピアノソナタ13番OP333

ピアノ ウラディミール・ホロヴイッ

同時期に交響曲36番リンツが作曲されたが、このピアノソナタにも明るくモーツァルトらしい、美しいメロディが流れてくる。
 Horowitz Plays Mozart Piano Sonata No. 13 (k333)  


naturococo at 05:47│Comments(2)

この記事へのコメント

1. Posted by じゅんちゃん   2019年09月10日 18:30
haruka1さん、こんにちは。

暑さがぶり返したような夏空です。(-_-;)

膨大な和歌を含む源氏物語は、後世の才能豊かな歌人たちにも高く評価されて、長い間、写本が読み継がれてきたのでしょうね。本当に優雅な時の流れですね。

このあたりのピアノソナタは特に心が躍りますよね。(^^♪
2. Posted by haruka1   2019年09月10日 19:41
じゅんちゃんさん、こんばんは。

東京の台風被害驚いています。風が吹くのも怖いですね。古今伝承が師匠から弟子へと200年間も続き、そして新古今が生まれているのに興味が深くなりました。同じように源氏物語も後世に大きく影響を与えているようです。

新古今になると中国の著作物にも影響を受けるようになり、新古今が日本古典の集大成のように思ってしまいます。日本の短歌の凄さを感じています。

いよいよモーツアルトの絶頂期がやってきた、そのようないい曲が続きます。次回をお楽しみに。

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