2019年09月26日
蒙古放浪記
きょうの音楽
蒙古放浪記 作詞・作曲 不詳
蒙古放浪記は昭和初期に歌われた大陸雄飛の歌である。日本民族発生の地である蒙古平原を思慕する、ロマン派男児の声が聞こえて来る。
蒙古放浪記
1、心猛(こころたけく)も鬼神ならぬ 人と生まれて 情けはあれど
母を見捨てて波越えてゆく 友よ兄等と何時亦会はん
2、波の彼方の蒙古の砂漠 男多恨の 身の捨てどころ
胸に秘めたる大願あれど 生きて帰らむ希みはもたぬ
3、砂丘を出て砂丘に沈む 月の幾夜か 我等が旅路
明日も河辺が見えずば何処に 水を求めん蒙古の砂漠
4、朝日夕日を馬上に受けて 続く砂漠の 一筋道を
大和男の血潮を秘めて 行くや若人千里の旅路
5、負はす駱駝の糧薄けれど 星の示せる 向だに行けば
砂の逆巻く嵐も何ぞ やがては越えなん蒙古の砂漠
歌が世に出たのは、アジア大陸進出が本格的に進められた昭和初期。作詞・作曲者の名を付しているのもあるが、大抵は採譜者の名であって、実の作者は不明が正しいようだ。
戦前、若者達がアジア大陸に憧れ、満蒙流浪の旅を夢見た時代があった。この歌は旧制高校の逍遥歌や寮歌のように扱われ、現在まで大学応援団などの学生達によって伝承されてきた。
加藤登紀子が歌っていたのには驚いた。旧陸軍中野学校で愛称された「三三壮途の歌(さんさんわかれうた)」の元歌でもある。
昭和6年の満州事変で、関東軍が満州全土を占拠したが、これを契機に国策で満蒙開拓と称し、満州、内蒙古への日本人農業移民が始まった。
しかし満蒙開拓には夢と現実とのギャップがあった。移民は、自ら身を守るため軍隊から武器を与えられ、訓練を受けた武装集団でもあった。
27万人の移民が終戦で置き忘れられ、逃避行で8万人の死者を出した。満蒙開拓は、一からの開拓ではなく、農地の60%が農地買収で得たもので、時価8%〜40%で強制買収された。
特に満州国では国土総面積の14.3%に当たる農地が日本に買収されている。植民地統治勢力の庇護の下での構造的な収奪とも言える。
(数字などwikiより)売り渡した現地農民は、自分達が食べるためにまた、新たな開拓をやったと思われる。
この記事へのコメント
「蒙古放浪記」、こういう歌があったのですね。勇猛な歌ですが、夢と現実の乖離が凄いですね。開拓ではなく、農地の強制買収であり、国を信じた移民は結局、戦後、置き去りにされた。
国が方向を誤ると、本当にとんでもない悲劇が起こりますね。
加藤登紀子さんは、軍歌も結構歌っています。彼女なりの、反戦のメッセージでしょうか。
蒙古放浪記の歌があるのは知っていたのですが、you tubeで初めて聞きました。私の学生時代では「北帰行」でした。若者達の大陸への憧れが読み取れます。
戦前日本の大陸経営はイギリスなどと違ってかなり無理をしています。加藤登紀子さんが、軍歌を歌っていたことを初めて聞きましたが、反戦メッセージでしょうね。
いつもの植物園で、ダリアを撮ってきたのですが、どうにもここへダリアは似合わないので写真掲載は取り止めました。