蒙古放浪記海 La mer

2019年10月03日

秋の夕暮れ 

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鎌倉初期、鴨長明が 「無明抄」 の中で、秋の夕暮れの侘びしさについて次のように論じている。(和歌に関する理論および評論の書、1211〜16年)

  「秋の夕暮の空の景色は、色もなく、声もなし。
  いづくにいかなる趣あるべしとも思えねど、
  すずろに涙のこぼるるがごとし。
  これを、心なき者は、さらにいみじと思はず、
  ただ眼に見ゆる花・紅葉をぞめで侍る」

秋の夕暮れは、美しい色や声もないが、思いがけなく(=すずろに)涙がこぼれてしまう。趣の心を持たない者は、素晴らしい(=いみじ)とは思わずに、ただ目に見える花や紅葉の美しさを愛でるのである。

新古今集の三夕(さんせき)、秋の夕暮れの題材は、定家など三人による新古今集(1210〜17年)が初。三人は、新しい鎌倉仏教、武家文化による、わび、さびなど、幽玄の世界を詠った。

新古今和歌集の三夕(寂蓮、西行、定家)

   さびしさは その色としも なかりけり 真木立つ山の 秋の夕暮れ」   新古今集 寂蓮
  「心なき身にもあはれは知られけりしぎ立つ沢の秋の夕暮れ」    新古今集 西行
  「見渡せば 花も紅葉も なかりけり 浦の苫屋の 秋の夕暮れ」    新古今集 藤原定家

寂連:寂しさはどの色のせい(紅葉)だとはいえない。
西行:趣を理解しない修行僧でも、鴫(しぎ)が飛び立つ夕暮れの沢はしみじと感じる。
定家:見渡してみると美しい花や紅葉などは何もないけれど、海辺のみすぼらしい小屋(苫屋)が、秋の夕暮を物悲しくさせてくれる。


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きょうの音楽

カッチーニ   「アヴェマリア」

作曲:ウラディーミル・ヴアヴィロフ
ヴァイオリン:フランティシェック・ノボトニー(František Novotny)チェコ生まれのヴァイオリン奏者。



真の作曲者は、旧ソ連の作曲家ウラディーミル・ヴァヴィロフ(Vladimir Fiodorovich Vavilov/Владимир Фёдорович Вавилов/1925–1973)

ヴァヴィロフは「作曲者不詳」のアヴェマリアとして発表、彼の死後に演奏家らがバロック初期のカッチーニの名前でレコーディングしたので、近年までカッチーニ作として広まった。

ギターやリュート奏者としても活躍した作曲家で、自分の名前を隠して昔の古典作曲家カッチーニの名を騙り神秘化を図った。

カッチーニの「アヴェマリア」は、シューベルト、グノーと並ぶ「3大アヴェマリア」として親しまれてきたが、いまは真の作曲者ウラディーミル・ヴアヴィロフの作曲と確定している。


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naturococo at 00:05│Comments(2)

この記事へのコメント

1. Posted by じゅんちゃん   2019年10月06日 11:30
haruka1さん、こんにちは。
今日は運動会日和ですね。

お写真、素敵です。

三通りの「秋の夕暮れ」、いずれも耳に親しい歌で、この季節になると、とりわけ心に沁みます。

カッチーニの「アヴェマリア」は、ウラディーミル・ヴァヴィロフの作曲だったのですね。どうして、作者不詳としたのでしょう。作品に奥行きを持たせるためとしても、やはり不思議な気がします。(^^♪

2. Posted by haruka1   2019年10月06日 12:13
じゅんちゃんさん、こんにちは。
きょうは、素晴らしい秋の天気です。写真のお褒めありがとうございます。もうダリアはおしまいのような場面でした。偶然に真っ赤な酔芙蓉に出会えてよかったです。

久々に、三夕「秋の夕暮れ」です。書き直しと組み換えをやっている途中にコメントが入ったようです。誤組み、誤字などいま訂正が完了しました。すみませんでした。

気温が下がれば着る衣装も変わって、また、新たな秋を感じます。それも間もなくですね。いま、ラグビーを見ていますが、イギリス連邦が見えてきておもしろいです。

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